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陣内貴美子が語る1992バルセロナ五輪と2020東京五輪【Be Style】

6/9(日) 7:02配信

TOKYO HEADLINE WEB

 “~になりたい”――。女性が思う“Be”の部分にフォーカスを当て、さまざまな立場の女性ゲストを招き、仕事や育児、ライフスタイルなどについてクロストークを展開するTBSラジオの新番組「Be Style(ビースタイル)」。

 Nagatacho GRiD[永田町グリッド]にて公開収録された第8・9回目の放送は、MCを務める菊池亜希子さんとともに、スポーツジャーナリスト、ニュースキャスターとして活躍する陣内貴美子さんが登場。切符をつかんだバルセロナ五輪までの紆余曲折、そして新時代を迎える日本バドミントン界について言葉を紡いだ。

 「バドミントンは、緩急の世界。スマッシュ時のシャトルの初速は、時速490キロに上ります。対して、ネット間際のドロップショットは時速0キロ。重力でシャトルが急降下していく。コートの中では、0から490の緩急を使い分ける戦いが行われているんですね。それがバドミントンの魅力です」

 日本バドミントン界のパイオニアである陣内貴美子さんは、屈託のない笑顔でそう話す。

 2020年東京オリンピック・パラリンピックのメダル有力候補の一つとして熱視線を注がれている競技、バドミントン。男子シングルス世界ランキング1位に上り詰めた桃田賢斗選手、リオ五輪女子シングルス銅メダリスト・奥原希望選手、リオ五輪女子ダブルス金メダリスト・“高松ペア”こと高橋礼華選手&松友美佐紀選手……日本のバドミントン界は、黄金期を迎えようとしている。

 バドミントンが、オリンピックの正式種目として初めて採用された1992年バルセロナオリンピック。陣内さんは、代表選手としてコートの上に立っていた。

 「五輪のエンブレムにやられました」。

 結果は9位。「入賞も叶わなかった」と、苦笑交じりで振り返る。

 「各国の代表は、いつも戦っていた相手ですから真新しさはなかったです。でも、みんなが舞い上がっていた。普通だったら、コートに入ると緊張が和らいでいく。ウォーミングアップをする中で、ライトの位置や空調の向きなどを把握して、試合開始に備えるのですが、五輪のエンブレムを見るや、まったく情報が入ってこなかった。隣のコートでは、当時の世界チャンピオンがウォーミングアップをしていたのですが、手元が震えていました。「みんな、震えているんだ」って思えばよかったのに、私は逆に緊張してしまった(笑)。最初で最後のオリンピックでしたけど、今も鮮明に覚えています」

 陣内さんの故郷・熊本は、国内指折りのバドミントンが盛んな地域だという。現在、女子ダブルス世界ランキング2位(2019年5月時点)のフクヒロペア(福島由紀選手・廣田彩花選手)も熊本出身。「男の子は野球、女の子はバドミントンというくらい競技人口が多いんです」。小学校4年生、10歳のときに、陣内さんはバドミントンと出会った。

 「結果を出すにつれバドミントンにのめり込んでいきました。16歳で代表選手に選ばれるなどやりがいを感じる一方で、当時はバドミントンはオリンピック競技ではありませんでした。何のために厳しい練習をしているのか悩んだ時期もありました」

  国内屈指のトッププレイヤーになった。バドミントンが、バルセロナ五輪で正式種目になることも決まった。だが、度重なるケガもあって、1990年、26歳のときに、陣内さんは引退を決意する。2年先のことを考える余裕はなかったと話す。


■ポーカーフェイスでいないと精神が保てなかった

 「“お前はいいよな。俺たちの時代はオリンピックに出たくても出れなかった。可能性があるなら続けてみないか”。当時のコーチから言われた言葉でした。その言葉を受けて、4つのことを考えました。「後悔はないか」、「引退後、他の選手を素直に応援できるか」、「2年先まで体力が持つか」、「トッププレイヤーとして精神力を保ち続けることができるか」……」

 3カ月後、陣内さんは“続行”という判断を選ぶ。「アマチュア競技の人間にとって、オリンピックは最高の舞台。やっぱり出てみたかった」。しかし、現実は甘くはない。正式種目として採用されたことで、バドミントンのレベルは飛躍的に向上する。今まで以上の努力が求められた。

 「オリンピックは、誰もが出たいと願います。そこに向けて尋常じゃない熱量が生まれる。コーチからは、「20歳のときの精神状態に戻せ」と言われました。それくらいがむしゃらにならないと、代表の切符を手にすることはできないって」

 バドミントンの代表選考は、世界ランキングで決まる。種目別の世界ランキングで、最もランクの高い人だけが代表に選ばれる。「変動するたびに気が気じゃなかった。情緒不安定でした」と、今でこそにこやかに回想するが、当時の陣内貴美子は笑わないバドミントンプレーヤーとして有名だった。「ポーカーフェイスでいないと精神が保てなかったんですね」。挑戦には、孤独が付きまとう。両親に、「パスポートを作っておいて」と伝え続けることで、自らを奮い立たせていたという。

 陣内さんから始まる日本バドミントン界のオリンピックの歴史は、その後、小椋久美子、潮田玲子のオグシオペアの登場などにより、よりポピュラー化していく。2004年に招へいし、今現在も日本代表ヘッドコーチを務める朴柱奉(パク・チュボン)氏の指導も実を結び、今やバドミントンはメダルを期待される競技にまで成長。人気と実力を兼ね備えた花形競技として、2020年を迎えようとしている。


 「今の選手たちにとってオリンピックは“でる”ものじゃなく、メダルを“とる”舞台なんです。頼もしさを感じる一方、時代の月日を否応なしに痛感します。国内のバドミントンのレベルは、本当に向上し続けているんですね。例えば、女子ダブルスの世界ランキングTOP10に、日本人ペアは4組います(2019年5月時点)。 高松ペアの上に、日本人ペアが二組もいる。この中から、一組しかオリンピックには出れません」

 だからこそ、陣内さんは自身の経験を踏まえて、「代表が決まる2020年5月まで信じられないような戦いが繰り広げられていることに、少しでも多くの方に興味を抱いてほしい」と話す。メディア活動に加え、日本バドミントン協会総務本部広報委員会委員として、バドミントンの広報・普及活動も精力的に行っている。

 「“ジャージが似合うおばあちゃんになりたい”というひそかな夢があるんです(笑)。バドミントンの魅力を伝えながら、私自身、運動をし続けてジャージが似合う素敵な60代、70代を迎えたい。運動って、“運”が“動く”って綴りますよね。
ストレッチでも構わないんです。運動をすると、きっと良いことがあると思うようにしているんですよ、私。ハハハハハ!」

 「心美人は顔美人。笑顔に勝る、化粧なし」――。陣内さんが大好きな言葉だそうだ。笑わなかった名プレイヤーは、今、太陽のように笑うことを心がけている。

 アクティブオーガニック「Be」presents「BeStyle」は、TBSラジオで、毎週土曜午前5時30分~6時に放送中。当日の模様は、Youtube「Be Style」チャンネルからも視聴できる。

最終更新:6/9(日) 7:02
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