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福沢諭吉「福翁自伝」 理想追い続けた現実主義者【あの名作その時代シリーズ】

6/10(月) 12:26配信 有料

西日本新聞

福沢諭吉が少年時代を過ごした旧居。福沢の志に触れようと訪れた子どもたちが駆け回っていた=大分県中津市留守居

 「あの名作その時代」は、九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら紹介するシリーズです。西日本新聞で「九州の100冊」(2006~08年)として連載したもので、この記事は06年8月13日付のものです。

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 「三つ子の魂百まで」という。福沢諭吉の歩んだ道をたどると、彼ほど父母の影響を強く受けた人も少ないのではないかと思われる。

 諭吉は一八三五年、大分・中津藩下級武士の末っ子として生まれ、幼くして父を失い、母の手一つで育てられた。教養人でありながら下級武士という身分のため不遇な生涯を送った父の無念を思い、諭吉は理不尽な身分制度に異議を唱え続ける。一方、母は貧しい生活の中にあっても近所の子供たちの服を繕い、シラミを取ってやるような博愛精神の持ち主であった。母を助けながら逆境を生き抜くたくましさを身に着けた諭吉は、自由平等の理想主義者であり、同時に状況を見極めてしたたかに生きていく現実主義者として、この国の歴史に名を刻んだのである。

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 中津藩から派遣された諭吉が、長崎で蘭学を学んだのは五四年。翌年、大阪の緒方洪庵塾に移り、五八年には藩命により江戸中津藩屋敷に蘭学塾を開設した。だが、蘭学の無力を知ると五九年にはさっさと英学に転向。六〇年には艦長の従僕として咸臨丸に乗り込み渡米するという要領の良さである。その後、幕府の遣欧使節団の一員として欧州七カ国を訪問し、その見聞をまとめた「西洋事情」で、思想家としての評価を高めた。 本文:2,524文字 写真:1枚

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西日本新聞

最終更新:6/10(月) 12:30
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