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【訃報】”熊殺し” が異名、猪木とも戦った空手家のウィリー・ウィリアムス氏が死去

6/10(月) 12:18配信

イーファイト

 極真空手時代に“熊殺し”の異名をとった、ウィリー・ウィリアムスが6月7日(金)、死去した。67歳だった。
 死因はうっ血性心不全。ここ数年心臓を患っており、回復に向かう兆候もあったが帰らぬ人となった。
 ウィリーの長男は「父は空手をやっていたが、そこまで偉大な実績があるとは知らなかった。日本で父のことをニュースにしていただけることを光栄に思う」と語った。

【フォト】熊と対決するウィリー

 ウィリー・ウィリアムスは1951年7月14日アメリカ・ノースカロライナ州出身。身長196cm、体重100kg(現役時)。米国の極真空手・大山茂の門下生となり、極真空手梶原一騎原作の劇画『空手バカ一代』でアメリカの強豪空手家として度々登場。
 さらに1976年製作の映画『地上最強のカラテPART2』では巨大なグリズリーとの闘いを披露し、“熊殺し”の異名を取る。

 1979年の極真会館主催の第2回全世界空手道選手権大会で圧倒的強さで勝ち上がり、準決勝で後の全日本三連覇を成し遂げる三瓶啓二に謎の反則攻撃を重ね失格。

 翌年、アントニオ猪木と格闘技世界一決定戦(ウィリーはグローブを着用)が組まれ、”極真空手vsプロレス”の様相を呈するも激闘の結果、両者ドクターストップによる引き分けに終わった。

 1984年の第3回極真空手世界大会後に、道場が極真会館から独立しUSA大山空手となり、ウィリーも極真会館を退会。
 それから7年後、1991年に「USA大山空手vs正道空手5対5マッチ」の大将戦に参加したウィリーは佐竹雅昭と対戦。翌年から前田日明が設立したRINGSに参戦し前田日明とも対戦するなど日本のプロ格闘技界でも活躍した。

 1997年には引退間近のアントニオ猪木と「ファイナル・カウント・ダウン 6th」で再戦。この試合は決め技限定で猪木はコブラツイスト、ウィリーは正拳突きのみという特殊ルールで行われたが、猪木がコブラツイストを決めウィリーに勝利した。

 格闘家を引退してからは空手のインストラクターをやりながら木彫り職人として生計を立てていた。

最終更新:6/10(月) 15:54
イーファイト

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