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アルフレッド・ヒッチコック、ハリウッド進出第二弾『海外特派員』の尋常ではない面白さ

6/11(火) 12:02配信

CINEMORE

スリラーはB級扱いだった当時のハリウッド

※本記事は物語の核心に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。


 『めまい』(58)や『サイコ』(60)といった超有名作に比べると、そのタイトルの知名度は劣るかもしれない。だが、そのクオリティは折り紙付きで、ファンの間でも揺るぎない人気を誇る一作と言っていい。それも専門的な知識を一切必要とせず、いざ見始めると誰しもを分け隔てなく魅了してやまない。それがこの『海外特派員』(40)なのだ。ヒッチコック初心者として一作ずつ鑑賞を重ねている筆者も、この尋常ではない面白さに大きな衝撃を受けた。

 本作はヒッチコックがイギリスからハリウッドへ進出して2本目の監督作である。

 例によってヒッチコック映画の鑑賞のお供として書籍「定本 映画術」(晶文社)を紐解くと、まずそこには当時のイギリスとアメリカの映画製作に関する「違い」が記されていた。ヒッチコックとトリュフォーの対話形式で書かれたこの本で、二人はまず『海外特派員』がB級映画として製作された経緯を論じている。ヒッチコックの言葉を要約すると以下のようになるだろうか。

 「イギリスでは、冒険小説やスリラー小説は立派な文学のジャンルでもある。ところがアメリカでは事情が違う。全くの二流扱いだ。これが映画となると、さらに輪をかけて低次元の娯楽としての扱いを受ける」

 それゆえ、彼はキャスティングの面でも難題に直面した。脚本が完成すると真っ先にゲイリー・クーパーに出演依頼したものの、「スリラーには出ない」という理由で一蹴されたのだ。ただ、結果から見ると、本作は名実ともに大きな反響を巻き起こし、歴史に名を残す作品となった。ずっと後になって、ヒッチコックはクーパーから「あのオファーを断ったのは間違いだった」と告げられたという。

開戦直後の世界情勢を背景にした極上サスペンス

 B級映画の範疇にあった『海外特派員』が大反響を巻き起こした理由には、その映画としての面白さと共に、刻一刻と変化する世界情勢も介在していたように思う。

 ざっと時代を俯瞰してみよう。ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって第二次大戦が勃発するのは1939年9月1日。そこからヨーロッパ戦線が拡大していく中で、本作は1940年の3月半ばから6月5日までの日程で撮影が行なわれた。これはクリスフトファー・ノーラン監督が描いたことで記憶に新しい“ダンケルクの戦い”ともちょうど時期が重なる。このころ、ヨーロッパのあらゆる場所が危険にさらされ、『海外特派員』の第2撮影班がロンドンからアムステルダムへ向かう最中には列車が爆破され、撮影機材を一式失うといった事態にも見舞われたそうだ。まさに命がけの映画作りである。

 これに呼応するように、物語は開戦前夜のきな臭い時期、一人のアメリカ人記者が和平交渉のキーマンである老政治家を取材しようとアムステルダムを訪れるところから始まる。だが、ここで事態は急展開。老政治家は公衆の面前で暗殺され、記者はその背後に巨大な組織の影を感じ取る。やがてあらゆる和平交渉は失敗に終わり、ヨーロッパはついに開戦を迎えることにーーーー。

 この後、ラストではロンドン空襲などの模様もわずかに盛り込まれる。なんという即時性。本作のアメリカ公開は1940年の8月中旬なので、当時のアメリカ国民にとっては、まさに大西洋を隔てた場所でリアルタイムに起こっている出来事が、劇映画へと形を変えて突きつけられた格好だ。当時のニュース映画にも劣らぬほどの臨場感あふれる内容が、そこにはダイナミックに息づいていたわけである。

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最終更新:6/11(火) 12:45
CINEMORE

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