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「薄氷」のビザなし交流への打撃は計り知れない。北方領土返還めぐる丸山穂高議員の戦争言及、訪問経験の記者が考えた

6/12(水) 10:39配信

ハフポスト日本版

北方四島のビザなし交流で国後島を訪れた丸山穂高衆院議員が、ともに訪問した元島民の大塚小弥太さん(90)=札幌市南区=に対し、戦争によって島を取り返すことへの賛意を執ように迫った問題は大きな波紋を呼んだ。

択捉島にビザなし訪問した高校生らの動画はこちら

衆議院は6月6日、事実上の辞職勧告を突きつける「糾弾決議」を全会一致で可決したが、丸山氏本人は議員を続ける姿勢を崩さず、今なお収束する気配はない。

問題の焦点は、選挙で選ばれた丸山氏を暴言を理由に国会が辞めるよう「圧力」をかけることの是非に移っているが、北方領土問題を取材してきた私にとっては、元島民らの感情を傷つけ、今後のビザなし交流に大きな打撃を与える方がよほど重大だと考える。

私は朝日新聞記者時代、2014年までの3年間はモスクワ支局に勤務し、北方領土問題をロシア側の視点を中心に取材してきた。

その後は北海道報道センターに異動し、元島民の日本人だけでなく、現島民のロシア人たちも取材する機会に恵まれた。ビザなし交流も複数回、参加している。

25年かけて「距離」縮まる

ビザなし交流が始まったのは1992年。この前年に崩壊したソ連(ロシアの前身)のゴルバチョフ大統領が日本側に提案したのが始まりだ。

日本側の目的は、北方四島(択捉、国後、色丹の3島と歯舞群島)の返還による領土問題解決のための環境を整えることにある。

意外に知られていないようだが、ビザなし交流は日本人が四島に行くだけでなく、ロシア人の現島民たちも日本を訪れる双方向の事業だ。

内閣府によると、ビザなし交流で四島に渡った日本人は、2016年度までにのべ約1万2900人、日本にやってきたロシア人は同約9100人にのぼる。

交流は当初、言葉の壁や感情的なしこりもあってぎこちなかった。日ロの参加者の間で、領土問題をめぐって言い合いになることもあった。

だが、回を重ねるに従って互いの「距離」は縮まっている。

例えば、2014年6月、私も参加した色丹島への訪問では、島に住むロシア人たちはこんなことを言っていた。当時の取材ノートをめくる。

「歯舞、色丹の2島返還が日ロの妥協点。色丹が日本に返還されても、私は日本人と一緒に暮らす準備はできている」。こう語ったのは60代の女性だった。

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最終更新:6/13(木) 1:08
ハフポスト日本版

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