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昨年センバツ「大谷2世」として注目された千葉・中央学院の大谷拓海 頭蓋骨骨折で二刀流に別れ

6/13(木) 11:01配信

東スポWeb

【気になるあの人を追跡調査!野球探偵の備忘録(86)】昨年のセンバツで「大谷2世」として注目されたのが、中央学院(千葉)の“二刀流”大谷拓海(18)だった。だが、最後の夏の大会を前にした同年5月下旬に頭に打球を受け、頭蓋骨骨折というアクシデントに襲われた。それでも驚異的な回復で、チームは夏も甲子園出場。現在は社会人野球の強豪・セガサミーに進んだ大谷が、当時は語ることのなかった復活劇の裏側と、二刀流に別れを告げ野手一本としてプロを目指す今の思いを語った。

「本当に打球がスローモーションに見えた。結構長かったです。2~3日意識がなかったという報道があったけど、意識はずっとありました。でも、頭が痛すぎて眠れないし、ご飯も食べられなかった。最初の2~3日は野球のことよりもとにかくこの痛みから解放されたいという一心でした」

 高校3年の5月下旬、練習試合で投手を務めていた大谷に、ライナー性の打球が直撃。すぐに救急車で病院に運ばれたが、頭蓋骨骨折、脳挫傷、外傷性クモ膜下出血といった診断結果が並んだ。

「医者からは夏の大会には間に合わないと言われた。セカンドオピニオンっていうんですか? 他の医者にも診てもらいましたが、野球ができるようになるのは9月以降と言われました」

 しかし、大谷は夏の大会出場をあきらめていなかった。頭の痛みが引いてきた1週間後には歩き始め、2週間後には体幹やインナーマッスルのトレーニングを開始、復帰への準備を進めた。1か月後には練習を再開したが、そこには厳しい現実が待っていた。「マシンのボールに全然バットが当たらなかった。けがは大丈夫でも技術的に夏の大会は厳しいかもしれないと思った」と当時を振り返る。

 1か月の遅れを取り戻すため、ティー打撃から始め、何とか感覚を取り戻そうと練習に励んだ。そして迎えた最後の夏、本調子ではなかったが、グラウンドには大谷の姿があった。復帰戦となった西千葉大会4回戦、八千代東戦ではいきなりヒット。決勝では高校通算33本目となる本塁打を放ち、チームの甲子園出場に大きく貢献した。けがは完治したと思わせる活躍ぶりを見せたが、実は試合に出場できる状態ではなかったという。

「医者からは試合に出場するなと言われていた。監督には医者からのゴーサインが出たので大丈夫ですとうそをつきました。野球を辞めたら自分には何も残らない。もし(もう一度)頭に当たったらそれが自分の運命です」と覚悟を決めて夏の大会に臨んでいた。

 代償もあった。頭には問題はなかったものの、オーバーワークが原因でヒジの靱帯を損傷してしまい、投手として出場できず。「頭のけがのせいにしてたけど、本当はマウンドに上がれる状態じゃなかった。甲子園でもライトからセカンドベースまでノーバウンドで届きませんでした」。結局マウンドへ上がることなく最後の夏を終えた。

「全国の舞台では自分よりもすごい投手をたくさん見てきた。自分は投手では通用しない。投手は高校までと決めていた。上で野球をやるなら打者で勝負するべきだと思った。今自分が投手をやっても打たれるイメージしか湧かないです(笑い)」と二刀流への未練はない。

 高校卒業後、プロへ進むという選択肢もあったが、社会人野球の強豪セガサミーへ進み、外野手一本でプレーを続ける。

「最初はプロへ行きたかったけど、3年でクビになるくらいだったら社会人で経験を積んで、社会人野球に進んでよかったと思えるくらいの実力をつけたい」と充実の日々を送っている。

「野球がやりたくてもできないときのつらさが分かった。野球をやれることに感謝できるようになった。3年後、ドラフト1位でプロの世界に飛び込みたい」

 けがを乗り越えて人間的にも大きく成長したかつての二刀流は、マウンドに別れを告げ、バット1本でプロの頂を目指す。

 ☆おおたに・たくみ 2000年7月13日生まれ、茨城県牛久市出身。小学2年のとき軟式野球チーム本埜ジャガーズで野球を始める。中学時代には船橋シニアに所属し、3年時に全国大会出場。中央学院では1年春から公式戦に出場、2年秋からはエース兼主砲としてチームをけん引し、3年春、夏と2度甲子園出場。エンゼルス・大谷翔平と同姓ということもあり「大谷2世」として注目を集めた。高校卒業後は、社会人野球のセガサミーで外野手としてプレーを続ける。180センチ、78キロ。右投げ左打ち。

最終更新:6/13(木) 16:25
東スポWeb

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