ここから本文です

114年前に3連覇 あるスコットランド人選手の物語

6/14(金) 15:11配信

ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)

◇メジャー第3戦◇全米オープン 初日(13日)◇ペブルビーチGL(カリフォルニア州)◇7075yd(パー71)

ケプカの雄叫び

ブルックス・ケプカは2019年大会で史上2人目の「全米オープン」3連覇を目指す。前回その快挙が達成されたのは実に114年前。当時、それを成し遂げたウィリー・アンダーソンとは、どんな人物だったのか。

米国のナショナルオープンで偉業を成し遂げた男は、そもそもスコットランド人である。古い文献『Famous North Berwick Golfers』によれば、1879年10月21日、エジンバラ郊外のノース・バーウィックで、6人きょうだいの長男(姉と妹が合わせて4人)として生まれた。

自宅近くのウェストリンクスというゴルフ場で小学生ながらキャディを務め、クラブづくりの下働きをした。授業時間に働いていたのが見つかって、2週間バイトを禁止されたこともあったそうだ。ちなみに、キャディ出身でゴルフギアの製造にも携わったというキャリアは、かつて日本人として初めてメジャーに出場(1932年全英オープン)したプロゴルファー・宮本留吉とまったく同じだったりする。

16歳のとき、家族で米国に移住した。ニューヨークエリアに拠点を置き、バルタスロールGCでの2年を含め、その後14年の間に10コースで務めたクラブプロとしての仕事が生活の手段だった。実は競技ゴルフに力を注いだのは米国に移ってから。1897年に初めて出場した「全米オープン」でいきなり1打差の2位に入ると、1901年に同じスコットランド人選手、アレクサンダー・スミスとのプレーオフを制して初優勝。03年から3連覇を達成した。

ちなみに01年のスコアは「331」、それが03年以降は「307」、「303」、「314」とストローク数が“激減”している。これは当時の使用ボールがガッタパーチャボールから、ハスケル・ラバーボールへの変革期だったことを示している。アンダーソンは両方のボールを使って優勝した唯一のゴルファーとも言われている。

ところが、まだ現役バリバリだった1910年の夏場に体調が急変した。10月25日、当時住んでいたフィラデルフィアの自宅で、てんかん(脳の慢性疾患)によって、31歳の若さでこの世を去った。なお、その89年後の1999年の同じ日に「全米オープン」歴代チャンピオンのひとり、ペイン・スチュワートが飛行機事故で死去したのは不思議な縁として語り継がれている。

「肩は筋肉質で、前腕はたくましく、並外れて手が大きかった」と、当時の文献はアンダーソンが体格にも恵まれていたことを記している。得意クラブはマッシー(現在の5Iに相当)で、233ydも放ったという逸話もある。ひょっとしたら、ケプカ並みのパワーを誇ったのかもしれない。

ただし、プロゴルファーを取り巻く環境はまったく違うものだった。当時の職業プレーヤーはコースのクラブハウスに入ることを許されず、アンダーソンは全米オープンでも臨時の仮設テントで食事をとった。優勝賞金は200ドル、現在の価値で約6000ドル前後とみられるという。

ケプカは今年も210万ドル以上の優勝賞金をかけてプレーしている。(カリフォルニア州ペブルビーチ/桂川洋一)

桂川洋一

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事