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《連載:わたしの町の大煙突》(上) 煙害と向き合い山守る

6/15(土) 11:00配信

茨城新聞クロスアイ

深い緑の山に、どっしりとした煙突が姿を見せる。

■日立の大煙突。

100年を超して風雪に耐えたコンクリートの表面は色あせるが、今も日立鉱山の流れを継ぐJX金属日立事業所の設備として現役で稼働中だ。

大煙突を巡る物語は、直木賞作家、新田次郎が小説「ある町の高い煙突」で描いた。

この中で、主人公・関根三郎のモデルとなったのは、煙害克服に向け奔走した若き関右馬允だ。

■優しいおじいちゃん

大煙突から北西に直線で約4キロ。山間部の日立市入四間町の集落に、古い民家がひっそりとたたずむ。周辺の山林を所有していた関右馬允が過ごした家だ。

建築から104年がたった家の一室に掛けられた遺影は、丸眼鏡を掛け、穏やかにほほ笑む。

「私には優しいおじいちゃんだった」

孫の明美さん(69)は懐かしそうに振り返る。

明美さんは大学進学で上京するまで祖父と一緒に暮らし、12年前に夫の哲雄さん(72)と共に故郷へ戻ってきた。

「祖父はとにかくきちょうめんで、地主として山を細かく管理していた」

1905年に日立鉱山が開業して以降、銅の製錬に伴って放出される亜硫酸ガスによって煙害が発生した。精錬所に程近い入四間村(当時)では、山林や農作物が深刻な被害を受けた。

住民代表の関右馬允は被害の実態を綿密に調査し、克明に記録。鉱山側と向き合い、解決に奮闘した。

「祖父は大煙突に関する苦労話を一切しなかった。そのことより、この地で暮らし続けることの方が大事だったのだと思う」

煙害記録のために使い始めたカメラを生涯持ち歩き、膨大な写真を残した。

関家を継いだ明美さんはしみじみと語る。「たくさんの記録を整理し、土地を管理する中で、昔の人たちの足跡を肌で感じる」

小説の映画化は明美さんにとっても感慨深い。「映画として残るのは、祖父にとって本望でしょう」

煙害と向き合い山を守った祖父に思いを巡らしながら、つぶやく。「私で17代目。この家を守りたい」

■語り口を工夫

大煙突から山道を登り、本山トンネルの手前。同市宮田町の日鉱記念館の入り口には、見学にやって来た小学生からの手紙が並ぶ。

「大煙突の高さが、当時は世界最高というのにびっくりしました」

日立鉱山の跡地に建てられた同館には県内外から年間約1万5千人が訪れる。市内の小学生のほか、JX金属の新入社員も研修の一環として来館する。

副館長を務める木村政幸さん(66)は鉱山近くの社宅で生まれ育った。JX金属を定年後、同館で見学者の対応などに当たる。

「大事なのは自分の言葉で伝えること」。年代や職業に合わせて語り口を工夫する。

館内には銅の需要増によって急速に発展した日立鉱山の歴史や煙害の事実のほか、大煙突建設や植樹など環境回復への取り組みに関する資料が並ぶ。

2階の壁を覆うのは、建設中の大煙突と周辺が写った横幅約8メートルの写真だ。木村さんはパネルを前に、力を込める。

「先人たちの情熱が煙害克服をもたらしたと、しっかり語り継いでいきたい」

日立市の発展を支えた大煙突。93年に倒壊し、高さが完成当時の3分の1ほどになった後も、市のシンボルとして親しまれ続ける。映画「ある町の高い煙突」の県内公開に合わせ、この町に生きる人たちが抱く大煙突への思いを探る。

茨城新聞社

最終更新:6/15(土) 11:11
茨城新聞クロスアイ

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