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箱根登山鉄道の軌跡(7) 戦争、消える観光客

6/15(土) 19:00配信

カナロコ by 神奈川新聞

◆太平洋戦争(1941~45年)
 小田原-強羅間の直通運転開始(1935年)で経営が上向きになった箱根登山鉄道(小田原市)に、戦争の影が忍び寄る。1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入した日本は、戦時体制による経済統制が強まっていった。

【写真】橋脚ごと押し流された橋梁

◆休止を強いられ
 国策によって同社の強羅-早雲山間ケーブルカーは鉄道総局に「遊覧目的」とみなされ、44年2月には運転休止を強いられた。資材を供出するため、早雲山の駅舎を除く全施設がわずか15万円余で特設機関に買い受けられた。

 一方、登山鉄道線と軌道線(路面電車)は市民生活に必要な交通機関として、かろうじて供出を免れた。

 だが、戦時下で国民生活は窮乏し、観光に訪れる余裕などない。箱根の旅館側も44年に横浜から7千人余の集団疎開児童を引き受けたため、一般客を受け入れることができる施設はわずかだった(「箱根温泉史」)。箱根から観光客が消え、電車の利用客は箱根、小田原の地元民に限られていった。

 召集によって車両の運行に必要な乗務員を確保することもままならなくなった。同社は鉄道・軌道線とも不定期運行に切り替えたほか、軌道線の一部区間は営業を休止。時局が好転するのをひたすら待った。

◆再開へ巨費投入
 そして迎えた敗戦(45年)。戦時体制は終わり、休止していた軌道線の一部も運転を再開した。空襲の被害はほとんどなかったが、登山電車で2両が進駐軍の専用電車になるなどして車両不足は続いた。

 再開に最も時間を要したのがケーブルカーで、大半の施設を新たに建設し直す必要があった。49年7月の復旧工事認可を受け、1年後には運転を再開したものの、復旧には1879万円もの巨費を投じなければならなかった。

神奈川新聞社

最終更新:6/15(土) 19:00
カナロコ by 神奈川新聞

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