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山下駅を出ると山下駅に停まります!? 能勢電鉄名物、日生線のスイッチバック運行

6/15(土) 6:03配信

乗りものニュース

「山下駅発・山下駅経由の日生中央行き」とは?

 能勢電鉄は、阪急宝塚線の川西能勢口駅(兵庫県川西市)から北側の山手へ延びる本線の妙見線(川西能勢口~妙見口)と、途中の山下駅(川西市)から分岐する1駅間の支線、日生(にっせい)線(山下~日生中央)などを運営しています。このうち日生線では、「山下駅発・山下駅経由の日生中央行き」という、少し変わった列車が運行されています。

【図】山下駅の構造とスイッチバックの動き

 この特殊な運行形態は、日生中央発・山下行きの列車が、折り返しの日生中央行きになる際に見られます。日生中央からの列車は、まず山下駅の2号線(「号線」は「番線」の意味)に到着し、乗客は降りていきます。そして間もなく、同一プラットホームの反対側である3号線に川西能勢口発・妙見口行きの列車が到着し、乗り換え客が次々と向かいに停車している日生中央行きに乗り込んで行きます。ここまでは、乗り換え駅でよくある光景でしょう。

 変わっているのはこのあとです。扉を閉めた日生中央行きの列車は、日生中央とは逆の上り方面(川西能勢口方面)へ向かって動き出します。この時点で「乗り間違えた」と慌てる人もいるようです。ほどなく列車は渡り線(並行する線路どうしをつなぐ線路)に入り、下り線へ移ったところでいったん停車。ここで運転士は運転席から出て、車内を歩いて反対側の運転席に移り、何事もなかったかのように下り方面、つまり再び山下駅へ向かって列車を動かします。

 そして、先ほど停車していた2号線から線路を挟んだ1号線に停車。ここでも、待ち構えていた客を乗せて、日生中央へと出発していきます。折り返しの列車が駅到着後に方向転換を行うのは一般的な光景ですが、これを、客を乗せたまま行うのは珍しいといえるでしょう。2号線ホームの発車案内には、「1号線経由の日生中央行きです」と注意書きがなされます。

梅田直通の特急誕生が契機に

 日生線は山下駅の北西に造成された「日生ニュータウン」へのアクセスを担う支線として1978(昭和53)年に開業。かつては、山下駅折り返し列車の運行形態も現在と異なっていました。日生中央駅から山下駅の2号線に到着した折り返し列車は、妙見口行き列車と接続したのち出発。駅の日生中央側にあった渡り線から下り線に入り、そのまま日生中央駅へと向かっていたのです。

 やがて日生ニュータウンは、造成の進行にともない1万5000人以上が住む地域有数の大住宅街となります。大阪への通勤客が激増したため、能勢電鉄は1997(平成9)年、日生中央~梅田間で阪急宝塚線直通の特急「日生エクスプレス」の運行を開始しますが、これに際し、4両編成までしか停車できなかった山下駅のホームを、8両編成に対応させる延長工事が行われました。

 ホームは駅の北側へ延長されることになり、既存の渡り線が撤去され、代替として駅南側に渡り線が新設されます。これにより、日生中央からの山下駅折り返し列車は、いったん上り方面(川西能勢口方面)へ進んでから方向を転換し、1号線へ入線するという現在と同じ折り返し方法になりました。ただ当初は2号線到着後、客を乗せずに方向転換を行っており、妙見口行きの列車から日生中央行きへ乗り換える人々は、3号線から地下通路を通って1号線へ移動していました。

 しかし、扇状に広がる山下駅の地下通路は長く、日生線の乗客が急増していたこともあり、大変な混雑ぶりだったといいます。開業時と比べれば日生中央行きの本数も増えていましたが、それでも乗り換え客をさばききれず、対策として編み出されたのが、「客を乗せたまま方向転換」することでした。これにより、妙見線と同一ホームでの乗り換えを再び可能にし、さらに1号線でも客を乗せるようにしたのです。能勢電鉄によると、「日生エクスプレス」の運転開始からおよそ1年後の1998(平成10)年に始まったといいます。

 このように方向転換する運行形態は一般的に「スイッチバック」と呼ばれますが、山下駅のそれは、ちょっとした名物にもなっています。運転士の「エンド交換」(運転台の操作を終了し、反対側の運転台に移り、折り返し運転を始める一連の動作)を間近で見られるとあって、鉄道ファンはもちろん、週末などには子どもたちが運転士の所作を熱い目線で見守る一幕が見られます。

宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)

最終更新:6/15(土) 9:58
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