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父思い石燈籠建立 息子が製作依頼、刻んだ父の名 江戸期の代官親子/兵庫・丹波市

6/16(日) 7:05配信

丹波新聞

 兵庫県丹波市市島町下竹田の二宮神社境内にある、1812年(文化9)建立の石燈籠について、製作を請け負った石工が注文内容などを記した請書「覚」が、江戸時代に丹波国の下竹田村を治めた湯長谷藩の代官・依田家の末裔(奈良県)に伝わっている。「覚」によると、石燈籠の製作を依頼したのは、5代目代官・依田忠治だが、建立主として石燈籠に刻まれているのは忠治の父・音右衛門為郷の名。丹波市文化財保護審議委員の山内順子さんは、「他の文書から、忠治が為郷に尊敬の念を抱いていたことが推測できる。父が節目の年齢(70歳)になった記念に建立したのではないか」と思いを巡らせている。今日は「父の日」―。

削られた「光秀」の名、恨みか「いたずら」か

請書には息子の名、石燈籠には父の名

 湯長谷藩は、現在の福島県いわき市が本領で、石燈籠がある丹波国の下竹田村は飛び地。2014年に公開された映画「超高速!参勤交代」のモデルになった藩。

 本殿に向かって左側の石燈籠。高さが3メートルほどあり、大きく「常夜燈」の文字が刻まれているほか、建立が「文化九申季九月二十八日」、建立主は「依田音右衛門為郷」、文字の揮毫については「東都三井親孝書」と彫られている。

 「覚」は、石燈籠製作を請け負った泉州(大阪府南西部)の「石屋伊助」が書いたもので、建立主の依田忠治らにあてている。「代銀は三百九拾目」「万一、寸法や形が違う、合わない場合は、代銀はそちら様が思うように減額してください」などと記載されている。山内さんによると、「三百九拾目」は今の金額で約100万円。現物の石燈籠と「覚」が残っているのは珍しいという。

親思い作る「孝行臼」で製作された石燈籠

 山内さんは、1800年(寛政12)、4代当主だった為郷が書いて湯長谷藩に提出した「先祖代々実名書出」の中で、当主になる前の忠治の名も「5代」として書いている点に着目。さらに1808年(文化5)、湯長谷藩の役人から為郷あてに書かれた文書の中に、「音右衛門(為郷)の役を免じ、後役は忠治が務める」「音右衛門の長年の勤めをねぎらい、お殿様から特別に紋付帷子を下される」と記されている。これらから、「寛政12年の文書で、為郷は、次代は忠治だと正式に届を出している。文書に感情や思いが記されているわけではないが、忠治は新しい時代を担う気概と自覚を持ったはず。また、父が領主から褒美をもらうほど勤めを果たしことに対し、尊敬の念を持ったであろうことは想像に難くない」と想像する。

 さらに、石燈籠は「和泉石」製。和泉石は、「孝行臼」と呼ばれる臼と杵が有名で、高齢の親が食べやすいようにと固い食物をすりつぶして与えるために使われたという。山内さんは「高齢の親を思いやって作られたのが孝行臼。同じ和泉石で石燈籠ができているのもおもしろい」と語る。

文字揮毫は三井孝親、父は「寛永通宝」書く

 山内さんの調査では、この石燈籠の文字を揮毫した三井親孝の父・親和は、篆書で一世を風靡し、「寛永通宝」の字も書いた。親孝は親和ほどではないものの、あとを継いで作品を残しているという。石燈籠にある「東都」とは江戸のことで、親子の作品は居住地だった江戸や、仕えていた家の出身地である信州諏訪周辺に多く残っているが、遠く離れた下竹田村に伝わっている点も貴重という。

最終更新:6/16(日) 7:05
丹波新聞

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