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京急バスの「ドル箱路線」、かつては鉄道の計画も 「京急武山線」なぜ実現しなかった?

6/16(日) 15:01配信

乗りものニュース

横須賀市内、三浦半島の東西を結ぶバス

 神奈川県横須賀市のある三浦半島は、東京湾に面した東側と、相模湾に面した西側のあいだを三浦丘陵が隔てる地形です。京急やJRといった鉄道はおもに東側を通っており、対して西側地域は路線バスが主たる公共交通手段で、半島を横断して東側の鉄道駅とを結ぶバスも数多く存在します。

【地図】京急バスの「ドル箱」県道26号線と武山線計画

 武山や林、長井といった横須賀市の西側地区は、合わせて4万以上の人口があり、都心へ向かう通勤客の多くは、三浦丘陵を貫く県道26号線(三崎街道)経由のバスで京急の横須賀中央駅やJR横須賀駅、衣笠駅に出ると見られます。というのも、この道を通って市の東西を結ぶバスの本数は、三浦半島でも随一の多さだからです。たとえば、三浦丘陵の尾根に近い衣笠城址バス停から衣笠駅・横須賀駅方面へ向かうバスは、平日朝7時台に18本(複数系統の合計。衣笠十字路止まりを含む)、衣笠十字路バス停から横須賀駅までの区間では24本にもなります。

 これらバスの運行を担うのは、京浜急行バスの衣笠営業所です。親会社の京急にとっては、鉄道の乗客を増やすうえで、これらのバスが大きな役割を果たしていますが、じつはかつて京急は、この県道26号線に沿って鉄道を計画していました。

「武山線」と呼ばれるこの路線は、第2次大戦中にいったんは着工されました。1944(昭和19)年に国鉄衣笠駅が開業すると、そこから軍施設がある横須賀市林(現在の陸上自衛隊武山駐屯地)まで建設するよう、陸軍も京急(当時は東急の横浜管理部、いわゆる「大東急」)に対し要請します。この区間は当時、軍関係の施設以外は民家もまばらでした。

 しかし、建設が始まったころには、すでに日本中で資材不足が顕著に。土地を取得し、人海戦術でトンネルを完成させたものの、レールなどの資材は確保できず、あえなく終戦を迎えます。その間、空襲で車両の多くを失うなどして、本線の運行すら難しい状態だった京急は、戦後も武山線の建設を再開することはありませんでした。

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最終更新:6/17(月) 12:10
乗りものニュース

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