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1964年の聖火リレー「謎の1枚」の真相、なぜ鎧!?現地を訪ねてみた 子育て・仕事・戦争の記憶

6/19(水) 7:00配信

withnews

スマホ時代に開かれる2020年の東京五輪では、膨大な写真がSNSなどにアップされるでしょう。1964年の東京五輪、モノクロ写真がメインだった時代にもたくさん撮影されました。中でも全国を巡った聖火リレーを伝える写真には、貴重な地方の様子が残されています。五輪自体初めて知る人が多かった時代。いったい、どんな気持ちで聖火を迎えたのか? 当時の思い出をたずねると「訳も分からず、掛け声を叫んでいた」「子育てでそれどころじゃなかった」。写真だけを手掛かりに突撃した現地で見つけたのは、人情味あふれるリアルな五輪の姿でした。(地図地理芸人・こばやし)

【画像】ついに見つけた「鎧の人」当時の感想は……「五輪がなんなのか分からずかけ声」

「ここに写っている場所と人ってわかるもんですかね?」

今回、訪れたのは鹿児島県。きっかけは、朝日新聞さんからきたメールです。

「ここに写っている場所と人ってわかるもんですかね?」

……雑です。

とはいえ、大学で地理学を勉強し高校社会の教職免許と地図地理検定資格を持っている「地図芸人」として活動する私を見込んでのこと。

「これ、わかったら面白そうですね!」と返すと「ですよね! じゃあお願いします!」という返事が(やっぱり雑!)。

メールにはモノクロ写真が添付されています。そこには海岸線で聖火らしき物を持って走る人と、よろいかぶと姿の少年たち。

写真からは、不思議な迫力が伝わってきます。なんだかんだいっても、2020年の東京五輪に向けて温まってきたのを見ると、1964年も、さぞかし盛り上がっていたのではないか。おらが村に聖火が来るなんて、大イベントだったはず!

ということで、1964年の東京五輪の聖火リレー写真を握りしめ鹿児島へ向かいました。

モノクロ、写真データなさすぎ!

モノクロ写真を見て思ったのは、データの少なさです。今はスマホで撮っても日時、場所、登録していれば人物もデータ化されますが、当時の写真、鹿児島で撮られたという以外は、ほぼ皆無。

データ的には、何というか美術館の絵画と一緒です。モナリザの人物が誰かわからないのと一緒。ミレーの落ち穂拾いも場所がわからなかったら気になる! 昔の写真は、そのレベルにデータが無いのです。

というわけで、鹿児島空港に到着したら、高速バスに乗り市内を目指します。

市内から市電の路面電車に乗り継いで、向かった先は鹿児島県庁。

県庁で聞けばさすがにわかるだろうと、いきなり本丸から攻め込みました。西郷さんがエスカレーターで豪快に焼酎を飲み干すロビーで待つこと5分、文化スポーツ局という部署に案内されます。そこで課長さん含め3人が出迎えてくれました。

こちらは大荷物に汗だくのTシャツ、ジーパン、しかもアポなし。「情報を得られる!」という期待より「怒られる!」という恐怖が先に来て、門前払いを覚悟で写真を見せると……。

みなさん興味津々。生まれる前のことなので、もちろん記憶はないものの、あれじゃないか、ここじゃないかと、いろいろと考えて下さいます(やさしい!)。

心強い3人のアドバイスから、よろいの写真は、のぼりの文字から伊集院市、海岸線の写真は薩摩大川方面ではないか、という説が出てきました。さらに県庁近くに旧鹿児島空港があり、そこに聖火が到着したという情報と、当時聖火が走ったルートの資料、そして「頑張ってください!」という言葉をもらって県庁を後にしました。

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最終更新:6/28(金) 15:36
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