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料理家のキッチンと朝ごはん[4]前編 アスリート料理家・YOSHIROさんの筋肉をつくるスクランブルエッグ

6/17(月) 8:01配信

SUUMOジャーナル

熱しておいたフライパンにオリーブオイルを入れ、ソーセージをこんがり炒めます。焼き色がついたら弱火にして、再びぱっとスチールラックのほうを振り返り……。

フライパンにじゅわわっと卵液を流し込み、菜箸でぐるぐるっと大きくかき混ぜます。

「あっという間に卵に火が通るので、強火で10秒くらいを目安に仕上げてくださいね」

この日はとても天気がよかったので、テラスで朝食を取ることに。テラスに出るドアの脇に置いたスチールワゴンからクロスとカトラリーを取り出して、テーブルに運びます!

カトラリーを収めたコンテナの中はボックスで細かく仕切り、お箸や木製カトラリー、ナイフ&フォークのセットなどをアイテムごとに収納。

あんなにイヤだと思っていた料理の世界に飛び込んだ理由は……

つくり慣れた朝食だったこともあるとは思いますが、キッチンでのYOSHIROさんの動きはとにかく機敏で、つくり始めてから完成までがあっという間でした。料理家であるだけなく、3つの店舗を経営し、自ら料理人として厨房に立つこともあるというから、手際がいいのは当然のことかもしれませんね。

ところで、お父様が和食料理人だというYOSHIROさんですが、大学卒業後は営業職で一般企業に勤められていたとのこと。そのまま家業を継ぐという選択をしなかった理由は何なのでしょうか?

「毎日帰りが夜遅い、店が休めず学校の授業参観には来られない。そんな父の姿を幼いころから見てきて、子ども心に料理人なんかイヤだと思っていたんですよ(笑)。大学を出てサラリーマンになるんだと意気込んで希望の会社に入ったのですが、入社式当日に東日本大震災が起こって式は延期になりました。いろんな意味で、今でも忘れられない1日です。

後日、有給を使って被災地を訪れ、ボランティアとして多くの人と接するうちに、改めて自分にできることは何なのかと自問自答するようになって……。悩んだ末、自分にできるのは見よう見まねで父から学んだ料理だと行き着いたんです。あんなにイヤだと思っていたのに、結局父と同じ、料理の世界に飛び込むことになりました」。爽やかな笑顔で、そう語ってくれたYOSHIROさん。

その後、活躍の場は料理の世界だけにとどまらず、2015年には農林水産省・JICAの共同事業に参画し、日本食文化を世界に発信する活動にも携わった経験も。現在はパラ卓球ナショナルチームの公認フードアドバイザーにも就任し、2020年の東京パラリンピックで選手と共にメダル獲得を目指しています。「食」を軸に活躍の場を広げるYOSHIROさんの今後に、これからも目が離せませんね。

次回は、かっこいいインテリアとしても楽しめるだけでなく機能性も高い「愛用の調理器具ベスト5」をご紹介いただく予定です!

●取材協力
YOSHIROさん
神奈川県生まれ。和食料理人である父の影響で、幼少期から実家の店舗で料理の基礎を学ぶ。専修大学卒業後、日本食研(株)に入社。退職後は日本料理店での店長勤務を経て、料理家として独立。世田谷区経堂の「凧」など3店舗を経営するほか、トライアスロン世界選手権の日本代表として「食 × 健康 × スポーツ」を普及する活動も行う。著書に『燃やすおかず つくりおき』(学研プラス)、『BRUNOの絶賛ホットプレートごはん』(宝島社)など。

さいとう きい

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最終更新:6/17(月) 8:01
SUUMOジャーナル

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