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イケメン空手家「蹴り」で五輪へ 西村拳を国内無敵に押し上げた技

6/19(水) 8:13配信

西日本スポーツ

 東京五輪の空手男子組手75キロ級で金メダルの期待がかかるのが23歳の西村拳(チャンプ)だ。1982年の世界選手権で男子組手70キロ級を制した誠司(63)を父に持つサラブレッドで、誠司は自ら開いた道場「拳誠塾」で息子を指導した。自身の現役時代にはなかったオリンピックで表彰台に立つことを望んでいる。

【表】西村拳のタイムライン

■空手一家の三男

 拳が生まれた95年、福岡大空手道部の監督をしていた誠司は89年に福岡市に開いた拳誠塾で福岡大生や一般の大人たちを指導していた。9歳下の妻真理子も国体に出場した経験があり、拳の10歳上の長男誠太と8歳上の次男翔も既に競技を始めていた空手一家。物心ついた拳が道着を着るのは自然の流れだった。誠司が振り返る。

 「3歳になった拳は空手を始め、大学生の練習についてきた。時には邪魔にならないよう、帯で柱にくくりつけられ、その横で大学生が練習するのを見ていた。5歳になったときに私が福岡大の監督を辞めて拳誠塾で子どもも教えるようになったので、道場で教えるようになった」

 誠司は、拳の兄2人に対して幼少期から福岡市内にある油山を走らせるなどスパルタで育てた。厳しすぎたと自覚し、拳に対しては小学4年ごろまで甘やかした。4年時に長崎で開かれた国際大会でデビューするも完敗。本気で空手に打ち込み始めたのは、小学校高学年になってからだった。

 「学習塾に週3回、空手に週2回通わせていたけど、塾をやめたいと。妻が『毎日空手をするなら塾はやめていいよ』と言うと、それから一日もサボらなかった」

 世界王者になった誠司の遺伝子は確かに受け継がれていた。

 「空手は瞬発系のスポーツ。速筋が発達した選手の方が速く突いたり蹴ったりできる。兄弟3人ともバネがあった。中でも拳は研究熱心。負けず嫌いなのか、稽古から帰ると自宅のビデオで自分の試合などを見て振り返っていた。兄2人もコーチのような存在。兄弟げんかもせず仲が良かった」

 誠司自身も熱心な研究で世界の最先端を走り続けた。現役だった20代のころ、日本の空手は突きが中心。誠司も中段突きを得意としたが、欧州では蹴りを多用していた。

 「私が世界選手権で勝ったとき、外国人はステップやフェイントを使い、左右に動いて蹴るのが流行していた。日本は一発で相手を倒すため、蹴り上げてくる前に間合いを詰めて突くというのが主流。彼らの下で修行し、福岡大で教えるようになって日本に蹴りを持ち込んだ」

 蹴りの重要性は息子にも教え込んだ。近い間合いでも器用に裏回し蹴りで当てる拳の得意技の原点になった。

 「上体がぶれないようにし、足元でコントロールするのが基本の基本。福岡大や拳誠塾では小さな的を蹴る練習をよくやらせ、拳もやってきた。手より足の方が長い分、近い間合いで蹴るのは難しいが、小さいころから練習してきたからできるのだろう。拳は日本選手の中でも蹴りがうまい」

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最終更新:6/19(水) 8:13
西日本スポーツ

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