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「命守る」心に刻む 磐梯山噴火派遣が原点 日赤県支部130周年

6/20(木) 9:58配信

福島民報

 赤十字活動を展開している日赤県支部が一八八九(明治二十二)年に設置されてから二十日で百三十周年を迎える。県支部は「人道」を基本理念に掲げ、災害救護や血液、医療、社会福祉など幅広い事業に取り組み、国内外から高い評価を受けてきた。各地で大規模な自然災害が相次ぐ。十八日夜には新潟県や山形県などで強い地震が起き、県内でも震度4が観測された。住民の安全・安心を支える存在として、地域貢献の役割に期待が高まっている。

 「次の負傷者の対応お願いします」「また余震だ。気を付けて」-。二〇一八(平成三十)年九月に発生した北海道地震。厚真町の体育館に設置された避難所内の日赤福島県支部救護班のブースに流れる空気は終始、張り詰めていた。県支部は直後に救護班十四人を派遣し、負傷者の手当や、体調不良を訴える避難者への対応に当たった。余震が相次ぐ中、懸命な救命処置が続けられた。

 県支部の設立は一八八八(明治二十一)年七月の磐梯山噴火がきっかけだった。

 五百人超の死者を出す大惨事。日赤本社は医療救護班を現地に派遣した。地元の猪苗代町の医師らと協力して負傷者の治療に当たった。当時、日赤は戦争時の負傷者救護を基本としており、戦時下以外で活動するのは初めてだった。赤十字活動に平時の救護が加わる世界的な転機にもなった。

 翌一八八九年に日赤県委員部が設置され、一九五二(昭和二十七)年十月に現在の日赤県支部に改称された。

 太平洋戦争時の県支部の人道精神がたたえられた記録が残る。救護員延べ約千人を派遣していた県支部の救護班の一つが中国軍の捕虜になった。それでも中国軍の傷病者に治療を施した。中国側は「日赤が博愛の精神で人道主義的な援助をした」とたたえた。

 阪神大震災、新潟県中越地震をはじめ数々の被災地に救護班を派遣し、支援活動を続けてきた。二〇一一年、東日本大震災が起きた。東京電力福島第一原発事故も発生し、多くの県民が避難生活を余儀なくされた。県支部は避難所に救護班を派遣するまとめ役を担った。

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最終更新:6/20(木) 9:58
福島民報

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