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【長州力引退、永遠のライバル藤波辰爾への思い〈2〉MSGでスターになった飛竜…「身体能力が凄かった」】

6/21(金) 12:25配信

スポーツ報知

◆6・26後楽園

 “革命戦士”長州力(67)が26日、東京・後楽園ホールで行われる「POWER HALL2019~New Journey Begins」で引退する。

【写真】長州引退試合で復帰する武藤敬司

 レスリングでミュンヘン五輪出場の経歴を引っ提げ1973年12月に新日本プロレス入団。翌74年8月8日にデビューした。82年10月8日の後楽園大会で藤波辰爾(当時は辰巳)へ反旗を翻し一気にスターダムへのし上がった。以後、ジャパンプロレスを設立し全日本プロレス参戦から新日本へのUターン、復帰後はエースとして現場監督として90年代の黄金時代を築き、98年1月4日には引退試合を行った。しかし、2000年7月30日の大仁田厚戦で現役復帰。新日本離脱からWJ旗揚げから崩壊、そしてフリーと波乱万丈の45年に及ぶレスラー人生を駆け抜けた。

 中でも藤波とのライバル対決は、当時、テレビ朝日「ワールドプロレスリング」で実況を担当した古舘伊知郎アナウンサーをして「名勝負数え唄」と評されるほどプロレス史に残るライバル対決を刻み込んだ。「藤波さんがいたから今のオレがいる」と語る長州は、引退試合で藤波との対戦を熱望。結果、越中詩郎、石井智宏と組んで、藤波、武藤敬司、真壁刀義と対戦することになった。引退興行は、前売り券は完売し全国の映画館でライブ・ビューイングされることが決定。プロレスのライブ・ビューイングでは、過去最大規模の上映館に達した人気を示している。「Web報知」はこのほど、引退直前の長州を単独取材しプロレス界を代表するライバルストーリーを残した藤波辰爾への思いに限定してインタビューし連載する。第2回目は「ドラゴンブーム」。

◆「もうプロレスの話はやめようって」

 長州は、1974年8月8日、日大講堂でのエル・グレコ戦でデビューを飾った。それから4か月後の12月に藤波は、若手選手だけのリーグ戦「第1回カール・ゴッチ杯」で優勝した。ゴッチ杯は、前座で戦う若手レスラーの活性化を目的として開催され優勝者は海外遠征の特典が与えられた。

 長州は、ゴッチ杯で優勝した当時の藤波の印象をこう明かした。

 「覚えている。記憶にはある。でも、あのころは誰にも勝てなかった部分があったんじゃないかな。あのころ木戸(修)さんとか藤原(喜明)さんとかいたしね。ただ、プロレスの部分では普通の選手より身体的な能力っていうのは、“おぉすごいな”って思ったことはありましたよ。その辺から彼に対する印象付けだよね。他の選手よりはちょっと違うなっていう。道場で練習をやってても体はそんなに大きくなかったけど他の選手よりは反応がいい。こういう人もいるんだろうなって」

 さらに細かい印象を尋ねると「覚えているわけないじゃん、何十年前の話だよ。そんなの考えてしゃべったらウソになる」と話すことを拒絶された。

 長州がプロレスラーとして高い身体能力を感じた藤波は、ゴッチ杯の優勝をきっかけに75年6月から欧州、メキシコ、米国と長い海外武者修業に入った。一方の長州も同時期に欧州、米国へ修業に出され、帰国後の77年4月からリングネームが「長州力」となり、アントニオ猪木、坂口征二に続く「第3の男」として期待され、メインイベンターへの道を歩むことになる。ただ、周囲が描いた思惑とは裏腹に人気は上がらず次第に中堅選手の1人としてファンの間では認識されるようになった。言わば低迷した時期で当時の話を聞くと長州は不快感を露わにした。

 「もうプロレスの話はやめようって。またこんな本当に…週刊誌見たらみんな書いてあるって本当に。今から何十年前の話だよ。今から、ベルトをいつ獲ってどうだこうだって分からないよ」

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最終更新:6/21(金) 17:50
スポーツ報知

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