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スープラはBMW Z4なのか?

6/24(月) 7:15配信

ITmedia ビジネスオンライン

 先週の記事で、スープラを作った人たちは何を作ろうとしていたのか? そして商品企画や開発に関わる制約条件はどんなものだったのか? それらをどのように解決してクルマが作られたのかについて書いた。

【写真】BMWが世界で唯一持つ直列6気筒高性能エンジン

 しかし、あちこちに付いたコメントを見ると、もっとワイドショー的な興味の方が強いことが分かった。それは「トヨタはスポーツカーを作る技術がないからBMWにクルマを作ってもらって、外見だけいじってスープラとして売っているだけだ」というご意見だ。

 まあ一応は“ご意見”と書いたが本音ではノイズだと思っている。エンジニアが数年をささげた仕事をそういう見方でしか見られない人は、自分の仕事にだってどう向き合っているのかと思わざるを得ない。

 さて、本題に入る前にひとつお断りをしておく。筆者は普段チーフエンジニアの名前を書かない。クルマそのものに厳しい評価を下す場合でも、別にチーフエンジニア個人をつるし上げる意図はない。だから名前を入れない。そしてそういう主義を取るなら、褒める時も同様であるべきだと思う。ただし役員以上については、その限りではない。個人として批判されることも含めて経営責任を引き受けるべきだと考えるからだ。

 しかし今回は特例としてチーフエンジニアの名前を書く。今回の記事は、提携準備からの話がどのように進んだかをインタビューで解き明かすインサイドストーリーであり、そのストーリーにとって、誰が言ったかは欠かすことができない情報だからだ。スープラ/Z4共同開発企画の原点は、トヨタ主導だ。そこから書き起こそう。

スープラ開発インサイドストーリー

 トヨタの内部に、そして特に北米マーケットには「スープラ復活」を強く望む声が長らく響いていた。それについてスープラのチーフエンジニアである多田哲哉氏はこう語る。

 2012年5月に、欧州のジャーナリスト向けに86の試乗会をスペインのバルセロナでやりました。その中日に日本から電話がかかってきて、唐突に「お前今すぐこっそりミュンヘンに行け。BMWに行って、共同でクルマが作れるかを聞いてこい」と言われました。試乗会の後半は、私がどこへ消えたのかも言えずむちゃくちゃになったらしいです(笑)。

 その時は、車種の指定もなければスポーツカーを作るという話でもなかったんです。ただ誰にも言うなと。その唐突な命令に自分自身が一体会社から何を求められているのかを考えると、思い当たる節がありました。

 86を開発している途中から、世界中のトヨタのディーラーやファンから「スープラはいつ帰ってくるんだ」と。それは豊田章男社長からも「俺のスープラはいつ新車になるんだ」と言われていたんです。

 スープラのヘリテージは直6です。その当時、直6の高性能エンジンを持っているのはBMW以外にありませんでした。そういう諸々を考えるとこれはもうスープラを作れという話だとしか私には考えられなかったんです。

 そこから数年がかりでどんな契約にするか、どんなクルマにするかを話し合っていったんですが、当時の交渉相手は当時BMWの副社長だったヘルベルト・ディースさんだったんですね。

 「われわれは6気筒のピュアスポーツカーを作るんだ」という意思は最初から変わらなかったのですけれど、ディースさんからは非常にまっとうなご意見をいただきました。「君の気持ちはよく分かった。けれどもそういうリアルスポーツカーのビジネスは大変だよ。ちゃんとゴールを見据えて始めないとビジネスとしてうまくいかないよ」と。

 それでも、こちらが「いやいや、昔ながらのスポーツカーとしてのスープラを作るんだ」と言い張るもんだから、ディースさんも折れて「分かった。じゃあもうけは度外視したとして、理念として何があるんだ。トヨタとBMWのブランド価値を互いに高めるものがなければ意味が薄い。例えば環境問題とスポーツカーをきちんと両立するとか、そういうアイディアはどうだ」と。

 当時BMWはi8の発売目前というタイミングで、私も試乗させてもらいました。まさに環境時代のスポーツカーを模索したクルマだったんですが、彼自身はi8だけでは、まだまだインパクトが足りないからトヨタと組んでもっとそこを補強する商品を作るとか、そういう非常に前向きで大人な提案をいただいたんです。

 けれどトヨタが「いやだ。ピュアなスポーツカーを作るんだ」と子供のようなことを言うものだから、話が全然進まなかったんですね。そうやって何も決まらないまま数年が過ぎて、私もちょっと不安になって来た頃、ディーズさんは突然BMWを辞めてフォルクスワーゲンに行ってしまい、スタッフが大幅に入れ替わってしまったんです。そこで新たに担当になられたのがクラウス・フレーリッヒ副社長でした。

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最終更新:6/24(月) 7:15
ITmedia ビジネスオンライン

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