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ダサくて、消滅しそうな池袋が「住みたい街」にすっかり変貌したワケ

6/24(月) 6:00配信

アーバン ライフ メトロ

消滅可能性都市から住みたいまちへ

 近年、池袋が注目のまちになっています。大手不動産検索サイトの住みたいまちランキングでは上位にくることもあるほどです。

【写真】思わず息をのむ、超高層ビル「サンシャインシティ」からの絶景(30枚)

 池袋はこれまで「治安が悪い」「ダサい」といったマイナスイメージが強い言葉で語られることが多く、2014年には池袋を中心にした特別区、「豊島区」が消滅可能性都市(少子化などを原因とした人口減少が進み、将来の存続が危ぶまれるとされた自治体)になったこともありました。

 では、なぜ最近になって池袋が注目のまちになっていったのでしょうか。そのイメージの変遷を追います。

地味でダサい「駅袋」

 山手線の西側にある3つの副都心、渋谷・新宿・池袋。このうち渋谷と新宿はもともと、街道沿いの街でした。対して池袋は明治時代までまちらしい場所ではありませんでした。

 池袋が発展するきっかけになったのは1903(明治36)年の池袋駅開業です。当時の写真を見ると「原野」と呼べるような何もない場所に駅が設けられている様子を見ることができます。

 その後は東上鉄道(現在の東武東上線)や武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が池袋をターミナルにし、池袋発展の礎が作られていきました。

 第二次世界大戦以降になると池袋は大きく発展しますが、それと同時に池袋のまちのイメージも作られていきます。

 まず終戦直後に闇市が大きく発達します。闇市は各地で形成されますが、池袋はその整理が他の街に比べて大きく遅れてしまいます。そのため、池袋には闇市の暗いイメージが持たれてしまいました。加えて、現在のサンシャイン60のある場所には東京拘置所があり、イメージが強化されてしまいました。

 その後、新宿・渋谷と共に副都心構想による再開発が推し進められていきます。この時特徴的だったことは池袋のまちが面的に広がっていかなかったことです。

 駅周辺では区画整理が行われ、駅に直結する西武百貨店や東武百貨店などの進出が進んでいたとはいえ、大規模な再開発事業としては、駅東側でサンシャインシティの開業が1978(昭和53)年にあった程度でした。そのため駅ビルばかりが栄え、「駅袋」という揶揄の言葉も生まれました。

 このように池袋は面的にまちのイメージの一新がされなかったため、「地味」「ダサい」という言葉が池袋を語るものとして見られるようになってしまいます。そして、こうしたイメージは駅至近に商業施設が集中する「駅袋」状態が長く続いたため、長らく一新できずにいました。

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最終更新:6/24(月) 14:48
アーバン ライフ メトロ

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