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ダサくて、消滅しそうな池袋が「住みたい街」にすっかり変貌したワケ

6/24(月) 6:00配信

アーバン ライフ メトロ

「国際化」と「サブカルチャー」で注目

 しかし、その間には新たなまちの魅力が生まれます。それが「国際化」と「サブカルチャー」です。

 まず、国際化については、1980(昭和55)年以降、中国大陸から都市部の青年たちが池袋に集まってきました。その要因として大きかったのは終戦直後に池袋周辺に発達し、まちが更新されずに残っていた多くの家賃の安い木造賃貸アパートです。

 そして池袋には中華系のコミュニティが発達し、北口に中華系の店が多く立地するようになります。

 サブカルチャーは東口で発展していきます。特にサンシャインシティ周辺には2000年代から若い女性をターゲットにしたマンガ・アニメショップが集積し、「乙女ロード」が生まれました。

 こうして「国際化」、「サブカルチャー」をはじめ、池袋は「多様なものが混在する」という都市としての性格を着実に備えていきました。

池袋が脚光を浴びるようになった3つの理由

 そして2000年代になると池袋が徐々に脚光を浴びるようになっていきます。その大きな理由は3つあります。

 1つは渋谷や新宿の再開発が一段落したため、目新しさがなくなり、むしろ「人が多くて危ない場所」という印象が強くなっていったことです。

 渋谷や新宿は街中を移動するのがとても大変です。筆者の個人的なイメージではありますが、新宿は東口と西口の間が移動しづらく、東口は人も多くて歩きづらい印象です。渋谷も駅周辺はともかく、センター街の方へ行けば街路が入り組み、どこへ行ったらいいのかわからなくなってしまいます。

 対して池袋は「駅袋」と言われていただけあり、駅の周辺の移動はとても楽で、JRであればどの改札口から出ても大きく遠回りになることはありません。こうした移動のしやすさは池袋の大きな魅力です。

 2つ目の理由は池袋が「気張らなくてもいいまち」として注目されてきたことです。池袋を語る資料を見ていると不思議と「普段着」という言葉がよく見られます。「地味」「ダサい」というまちのイメージはマイナスのようですが、裏を返せば「気張らなくていい」というまちのイメージを形成していったのです。

 そして3つ目の理由が2008(平成20)年の副都心線開業、2013年の副都心線と東横線の直通運転開始を契機に池袋に来る人が増えたことです。開業前は「池袋は素通りされるようになるのではないか」という不安の声もありましたが、むしろアクセスが向上したことにより、横浜方面からも関心を持たれるようにもなったのです。

 さらに近年豊島区が取り組んでいるイメージアップ戦略も池袋のイメージを向上させています。豊島区では2014年に「消滅可能性都市」になったことで若い女性に住んでもらうための施策を積極的に打っていきました。

 例えば、子供を連れてきやすいようにきれいなトイレを整備することや保育所の充実といったものです。さらに演劇をまちづくりの核に据え、シアターグリーン近くの「南池袋公園」は、2016年にホームレスのいる公園からおしゃれな公園へと様変わりさせました。

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最終更新:6/24(月) 14:48
アーバン ライフ メトロ

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