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上皇さまが正座して玉音放送を聞かれたゆかりのホテル リニューアルして開館

6/24(月) 11:50配信

FNN.jpプライムオンライン

上皇ご夫妻 ご退位最後の儀式で京都へ

上皇ご夫妻は、6月11日から13日まで、ご退位に関する最後の儀式となる、京都府にある明治天皇の陵墓とその父、孝明天皇の陵墓を参拝されました。
上皇后さまは、心臓の血流や不整脈などがおありだという発表が宮内庁からありましたが、大きな負荷がかからなければ日常生活には問題がないということで、ゆっくりと階段を上り、これまでとお変わりない様子で無事参拝を終えられました。

【画像】上皇さまが「玉音放送」を聞いた南間ホテル別館の2階、御座所は今…

高円宮久子さまと承子さまは上皇さまゆかりの建物へ

上皇ご夫妻が京都府を訪問されている、6月12日、高円宮妃久子さまと長女の承子さまは、栃木県益子町を訪れ、ある式典に出席されました。この式典は、上皇さまゆかりの建物がリニューアルされ、開館を記念して行われたものでした。

開館したのは「ましこ悠和館」。実はこの建物は、旧南間ホテルを修復したものだったのです。
南間ホテルは明治15年(1882年)、栃木県の奥日光で開業したホテルで、すでに開業していた日光金谷ホテルなどと同じように、外国からの観光客などを相手にした、今でいうリゾート型のホテルの走りとして人気を集めました。
このホテルが歴史に名を残すことになるのは、昭和のことでした。

上皇さまが少年時代に疎開されていた栃木

上皇さまは、昭和19年(1944年)に入り、戦況が悪化、都内などへの空襲による被害を懸念し、この年の5月静岡県にある沼津御用邸へと疎開しましたが、7月、より都心から離れた日光にある田母沢御用邸へと移動されています。
当時、10歳でいらした上皇さまは、学習院初等科5年生で、このとき、学習院の初等科の一部の児童も日光金谷ホテルに疎開したのです。
上皇さまは御用邸で暮らしながら、日光金谷ホテルで初等科の授業を受ける生活を送られました。

田母沢御用邸は、日光出身の実業家の家に徳川家の屋敷から建物の一部を移設するなどし、また新築の部分も含め大正天皇のご静養の御用邸として明治末期に作られました。大正期にも増築するなどして大正10年(1921年)には今の形にできあがったということです。
大正天皇の晩年まで、ご静養のための御用邸として使用され、数ヶ月にわたり滞在したこともあったということです。
上皇さまは、この御用邸の大正天皇の后、貞明皇后のためのお部屋で寝泊まり勉強をし、およそ一年間生活されました。

しかし、終戦も近くなった昭和20年(1945年)7月。この日光に軍需施設があったことなどから空襲などを恐れ、より山奥の奥日光へと居を移されます。
そして、奥日光湯の湖のほとりにたつ南間ホテルに入られたのです。

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最終更新:6/24(月) 12:17
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