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天龍が初公開!馬場さんの「長州獲り密命」

6/26(水) 11:01配信

東スポWeb

【特別連載「革命戦士最終章」第3回】龍魂から革命戦士へ――。26日の「POWER HALL 2019」(東京・後楽園ホール)でファイナルマッチに臨む長州力(67)の特別連載「革命戦士最終章」第3回は、2015年11月に引退した天龍源一郎(69)だ。永遠のライバルに惜別のメッセージを送りつつ、意外なエピソードも初公開した。長州の全日本プロレス初参戦に至る過程で、故ジャイアント馬場さん(享年61)から受けた“密命”とは?

 ――長州選手との初対決(1985年1月2日)から34年だ

 天龍:オウ。初対面は第1回プロレス写真記者クラブ写真展(83年12月21日)だった。その時に話が弾んで「今度飲もう」って話に。同時期に別の会で俺と長州選手、ダンプ松本選手が同席してね。当時、あちこちにテンパってた俺は「何だよ、女子も一緒かよ」と思ってたら、あの長州選手がワンオクターブ高い声で「よっ、ダンプちゃん、元気?」って声をかけていて「長州力ってこんな人間だったのか」とリング上とのギャップに驚いたことを覚えてる。

 ――84年11月1日には長州が後楽園大会に乱入。その後、ジャパンプロレスが全日本に参戦する

 天龍:これは初めて話すんだけど、俺が(84年初頭から)長州選手と飲みに行っていることを知ったジャイアント馬場さんから「お前、長州と仲いいらしいな。全日本に来ないか聞いてくれないか」と唐突に頼まれたことがある。「馬場さんが全日本に来ないかと言っている」と伝えると、長州選手は「源ちゃん、俺は今、満足しているからいいよ」と答え、その話は一度立ち消えになった。しかしクソ真面目に電話する天龍も天龍だが、正直に答える長州力も長州力だな…。

 ――それは意外だ

 天龍:結局は数か月後(84年8月)に馬場さんとジャパンプロレスの大塚(直樹)社長が話し合い、長州選手が全日本に乗り込むに至ったと聞いた。心の片隅に俺の言葉が残っていて全日本を選んでくれたのなら、こんなにうれしいことはない。

 ――心に残る試合は

 天龍:やっぱり大阪城ホールの初シングル戦(85年2月21日)かな。エプロンでバックドロップを食らった衝撃は忘れられない。抱え上げられた時は「えっ、こいつ何するんだ」と驚いた。まさか本当に投げられるとは思わなかった。

 ――長州選手の全日本参戦はわずか2年だ

 天龍:それでも刺激は強烈だった。ジャンボ鶴田選手(故人)よりも俺に呼応してくれたことが大きな転機になった。全然違うスタイルの長州選手と毎日戦えることが、楽しくて楽しくて仕方なかった。彼と戦うようになってからプロレスに目覚めたと言ってもいい。

 ――87年2月に長州は全日本を去り、阿修羅原さん(故人)との天龍革命が始まった

 天龍:長州選手が来て嵐のように去っていかなければ、まったりとしていた全日本に革命は起きなかった。俺たちが動くまでは「プロレスはこれでいいんだ」という妥協していたムードが、当時の全日本にはあった。

 ――確かに空気は大きく変わった

 天龍:名前は出さないが、某有名大学の田中監督の子分の元学生横綱が、俺が長州選手にサソリ固めを決められていると、目立ちたがって必ず勝手に助けに飛び込んできてラリアートかますんだ。長州選手も絶対に離さないから毎試合、足首を捻挫した。しかもそのヤローは後年にサソリ固めをまねするようになりやがって。絶対に許さん。

 ――92年のWAR旗揚げ後は新日本に参戦して再会を果たす

 天龍:WARが窮地に陥った時、手を差し伸べてくれた。長州選手がいたからこそ、今の俺が存在する。引退試合(98年1月4日)で東京ドームを超満員にした後、現場監督として新日本を立て直し、現役復帰して今日まで現役を貫いた。プロレスに未練はないだろう。逆に長州選手がどんな人生を選ぶのかに興味がある。プロレスは十二分に堪能したし、専修大に戻ってレスリングを教えるかもしれないね。そのほうが落ち着くだろう。

 ――今、贈る言葉は

 天龍:最後まで己を通し、自分に正直に生きた希有なプロレスラーだった。同時に天龍源一郎というレスラーを引き上げてくれたことに心から感謝してる。「サンキュー」という言葉しかない。

最終更新:6/26(水) 11:01
東スポWeb

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