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日本をダメにした「ジャパン・アズ・ナンバーワン」

6/26(水) 21:01配信

ニュースソクラ

【けいざい温故知新】40年前の”No.1” 慢心が平成の低迷を招いた

 過ぎた「平成」は、経済に限れば低迷の一語に尽きた。昭和から引き継いだバブルが平成の冒頭で崩れ、後遺症を引きずった30年だった。その一因は、40年前に出た一冊の本にも帰せられよう。

 米国の社会学者エズラ・ヴォーゲル・ハーバード大教授(当時)の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は1979年5月の出版だ。翌月には邦訳が出て、日本で70万部を超すベストセラーになった。

 ヴォーゲル氏が最近、経済誌にこんな挿話を明かしていた。ハーバード大の同僚、エドウィン・ライシャワー教授が「この本は米国では必読書だ。だが日本では発禁にするべきだ」と冗談めかして言ったという。さすがは知日派を代表するライシャワー元駐日大使、慧眼(けいがん)だった。

 書棚の奥から探し出し、40年ぶりに読み返した。政治も、経済も、問題を抱えながら無策の母国に我慢できなくなった日本研究者が、少しは日本から学べ、と同胞に訴えた警世の書だ。

 紙数の3分の2強が、「日本の成功」の叙述に充てられ、日本の政府、政治、大企業、教育、福祉、防犯などの制度や運用が、日本をよく知らない米国読者向けに詳しく、極めてポジティブに描かれている。

 日本人読者には、さほど新しい知見はないが、日本式が褒められたことと、何よりもタイトルの「No1」が強烈な印象として脳裏に刻み込まれた。

 70年代は、日米が明暗を分けた10年だった。米国は、ドルと金の交換を止め(71年)、石油危機(73年)を機に不況とインフレの併存に苦しみ、ニクソン大統領の辞任(74年)、ベトナムからの敗退(75年)、イラン革命でのテヘラン米大使館占拠(79年)など、国威が失墜する出来事が続いた。

 方や日本。エネルギーの大半を輸入に依存する経済に、石油危機は大ピンチで“狂乱物価”にも見舞われたが、緊縮政策で何とかインフレを押さえ込み、産業界は現場の踏ん張りで「エネルギー原単位」(単位生産量当たりのエネルギー消費量)の劇的な改善を成し遂げた。団塊の世代が20代から30代初めという人口構成も、柔軟な対応を可能にしたかも知れない。

 無我夢中で奮闘し、気づいたら欧米諸国に先駆けて石油危機から立ち直り、製造業の競争力は頭1つ抜けていた。そのタイミングで「No1」と持ち上げられた。過剰な自信、「おごり」が生まれて不思議はない。

 日本版への序文で著者は、傲慢(ヒューブリス)の罪とネメシス(応報天罰の女神)に触れ、過去の成功に浸り過剰なプライドに苦しむ米国のように、日本にも傲慢の罪のリスクがある、と指摘していたのだが。

 80年代は、日米とも様相が一変した。レーガン政権(81~89年)は、日本式など目もくれず、「ブードゥー(お呪い)経済学」と揶揄(やゆ)された大減税や、大胆な規制緩和、国防予算の拡大など「強いアメリカ」政策を推し進めた。財政と経常収支の「双子の赤字」は膨らんだが、経済は生き返った。

 宿敵ソ連が、ペレストロイカ(改革)の効なく体制崩壊に向かったことも、米国1強化を助けた。

 一方の日本は、米国から黒字減らしを迫られ、85年の「プラザ合意」を機に円が急騰し始めたころから、おかしくなった。内需振興のアクセルを踏み込み、官民の散財が始まった。バブルだ。

 株式時価総額世界ランキングの上位を日本企業がほぼ独占し、日本全国の地価総額が、国土が25倍も広い米国の地価総額の4倍にもなる。冷静に考えれば異常なのだが、No1症候群に捕らわれた日本人は意に介さなかった。バブルが弾けた後も、資産価格の回復を期待して、金融機関の不良債権処理などの手を打つのが遅れに遅れ、長期のデフレに沈んだ。

 80年代の傲慢の罪により、ネメシスの罰を受け続けた平成の30年だった。もし、あの本が出版されてなかったら? あくまで個人的見解だが、バブルは避けられなかったとしても、もう少し早くブレーキがかかり、後遺症も軽い別の平成があったのではないか。

最終更新:6/26(水) 21:01
ニュースソクラ

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