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野呂邦暢「諫早菖蒲日記」 二度失った故郷、丹念に描く【あの名作その時代シリーズ】

6/28(金) 12:30配信 有料

西日本新聞

諫早市中心部を流れる本明川。志津が眺めていた川を少女が石伝いに渡った

 「あの名作その時代」は、九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら紹介するシリーズです。西日本新聞で「九州の100冊」(2006~08年)として連載したもので、この記事は06年10月8日付のものです。

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 早暁、本明川沿いの道を諫早湾に向かって歩いた。南に雲仙岳、北に多良岳の峰が見える。やがて日の出とともに、千メートル級の二つの山の稜線(りょうせん)が明るく輝き、陽光が川面にたなびく朝霧を白く照らし出す。

 恐らくは太古の昔から変わらないであろう光景。長崎県諫早市に今暮らしている人々と同じように、野呂邦暢も、そして、野呂が生み出した「諫早菖蒲(いさはやしょうぶ)日記」の主人公たちも、この神秘的ともいえる景色を眺めたに違いない。

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 「諫早菖蒲日記」の主人公は、佐賀藩の支藩だった諫早藩の砲術指南役藤原作平太の娘志津である。時代は幕末。十五歳の志津が、安政二年の初夏から翌春まで日記を書いたという筋立てで、物語は進められる。

 野呂は、結婚を機に諫早市仲沖町の古い武家屋敷に移り住んだ。三十四歳だった。その屋敷こそが、主人公のモデルとなった砲術指南役親子が暮らした屋敷だった。裏庭には菖蒲畑が広がる。その土蔵にあった砲術書などとの出合いが小説を書く動機になった。

 野呂は諫早市誌を熟読し、この地で起きた出来事や、人々の暮らしを小説に盛り込んだ。佐賀藩の圧政に忍従する諫早藩の様子や、外国船が開港を求めて相次いで来航する状況に動揺する武士の姿など、志津の日記は史実に基づく。しかし、武家の娘とはいえ、それほどに世の中の出来事を知る少女がいるはずもない。志津が難聴気味の父の傍らで耳代わりになり、大人たちの会話から世情を知る立場にあったとの設定を野呂が用意したのは、物語にリアリティーを持たせるためだったに相違ない。志津は生き生きと躍動感にあふれて描かれる。志津の家で働く吉爺(きちじい)との会話もそうだ。 本文:2,383文字 写真:1枚

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西日本新聞

最終更新:6/28(金) 12:30
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