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センバツ連覇で喜ぶ同級生たちをスタンドから見守った 道端晃大(同志社大)

7/5(金) 12:02配信

高校野球ドットコム

大阪桐蔭春夏連覇をスタンドから見届けた道端晃大が同志社大で覚醒

 春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭で最後の夏をスタンドで過ごした道端晃大。高校時代に脚光を浴びることはなかったが、同志社大に入学して1年生の春から中継ぎの柱として活躍を見せている。そんな道端が過ごした大阪桐蔭での3年間はどんなものだったのだろうか。

【写真】インタビューを受ける道端晃大(同志社大)

全国トップレベルを見せつけられ、自信が打ち砕かれた

 中学時代は南大阪ベースボールクラブでプレーしていた道端。チームはボーイズやシニアといった団体には所属していないため、全国大会への出場経験はない。「自分を磨いて高校で花を咲かせるために体作りをして、上で通用するような実力をつけようと思って練習しました」と当時を振り返る。

 チームの先輩には青柳 昴樹(DeNA)や浦野龍生(同志社大)、松山 心(大阪商業大)と大阪桐蔭に進学した選手がいた。
 道端も中学3年生の春に大阪桐蔭から声がかかり、「凄いメンバーが集まる中で、自分もメンバーに入って甲子園で投げたい」と大阪桐蔭への入学を決めた。

 甲子園優勝を目指して大阪桐蔭に入学したが、入ってすぐに周囲のレベルの高さに驚かされた。当時は3年生に高山 優希(日本ハム)や吉澤 一翔(早稲田大)などがいて、同期には根尾 昂(中日)や藤原 恭大(ロッテ)など逸材揃い。いきなり自信を打ち砕かれた。

「先輩のノックを始めて見た時に流石全国トップレベルの実力だなと思いました。同期を見てもプロに行ったメンバーは肩がメチャメチャ強くて、自信を喪失したというか、自分のやってきたことが通用しないんだなと感じました」

 史上最強世代と呼ばれた大阪桐蔭でメンバー入りするのは容易ではない。制球難に苦しんでいた道端に転機が訪れたのは2年春の野手転向だった。

「スローイングを治すために2年生の5月から8月くらいまで外野手に転向したんですけど、そこでコントロールのコツを掴みました。コントロールの悪さを直さないとメンバーに入れないと思っていたので、コントロールをずっと意識して投げていました。外野で遠くに送球することで投げ方を修正することができました」

 道端の投球フォームは顔の後ろにすぐ左肘を持ってくるコンパクトで独特なフォームだが、これは一時的な外野手転向による影響だった。2年夏の甲子園が終わり、最上級生になると投手に復帰。投球フォームを改善したことで制球力も高まり、自らの投球に手応えを感じるようになっていた。

「元々は大きなフォームで投げていたのですが、バランスが合いませんでした。野手から投手に戻った時にはコントロールが良くなったので、結果的には良かったのかなと思います。やり始めた時は調子がよかったので、冬に投げ込んで体に染み込ませてきました。1、2月に調子がよくてセンバツのメンバー争いにも加わらせてもらいました」

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最終更新:7/5(金) 12:02
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