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大型ロータリーセダンもあった!? マツダの迷車5選

7/8(月) 6:10配信

くるまのニュース

名車を送り出すマツダ、しかしかつては迷車も……

 マツダは「SKYACTIV」を2010年に発表したのち、エンジンはもちろんシャシ性能まで進化を続けているメーカーです。ベテランのドライバーにとっては、独自の技術で「ロータリーエンジン」の量産に挑んだスポーツカーメーカーという印象が強い人も多いと思います。

マツダが誇る往年の『迷車』を画像でチェック(9枚)

 現在のマツダは、先日発表された「マツダ3」や「マツダ6」のように高度な技術が投入されたクルマや、「ロードスター」に代表される運転が楽しいクルマを送り出しています。

 一方で、そこに至るまでは「これを売り出す必要があったのか」と感じてしまうクルマもありました。

 そこで、マツダの歴代車のなかから、「迷車」5車種をピックアップして紹介します。

●MX-6(1992年)

 1982年に前輪駆動化された4代目「カペラ」は「マツダ626」として、とくにヨーロッパでは「ベスト・インポート・カー」に選ばれるほどの高い評価をうけ、海外でマツダブランドのちメイドを向上させました。

 1987年に5代目にモデルチェンジされると2ドアモデルは「カペラC2」の車名になり、洗練されたハンドリングで、国内でも高く評価されるクルマとなります。

 そして1992年には3ナンバー化したワイドボディの2ドアスペシャルティカー「MX-6」へと進化します。

 フォードブランドで販売されていた2代目「プローブ」と同じく、2.5リッターのV型6気筒と2リッターの直列4気筒エンジンを搭載した、伸びやかなフォルムでスタイリッシュなクーペでした。

 MX-6は「デートカー」と呼ばれた日産「シルビア」やホンダ「プレリュード」にはない、V型6気筒エンジンによる余裕の走りと、豪華な装備で贅沢なスペシャリティカーの地位を確立します。

 しかし、既に国内景気は後退した後であり、顧客のニーズには合致せず、販売数が伸びることはなく1995年には生産を終了してしまいました。

●センティア(1991年)

 1986年にマツダが発売した5代目「ルーチェ」は、2リッターV型6気筒の自然吸気とターボ、13Bロータリーターボの多彩なエンジンバリエーションと、スタイリッシュなデザインで、「ハイソカーブーム」があった当時は、トヨタ車、日産車とは異なる雰囲気ということで高評価を得て人気車種となりました。

 そのルーチェの上位を目指し3ナンバー専用のプレステージセダンとして1991年に登場したのが「センティア」です。

 豊かな曲面構成で美しいプロポーションを持つセンティアは、パーソナルユースを念頭に制作されたもので、国外からも高い評価を得ました。

 当時の日本車としては大柄なボディに、3リッターと2.5リッターV型6気筒エンジンを搭載し、日本の道路事情に合わせ取り回しがしやすいように4WS(4輪操舵システム)を備えるなど、先進的装備が満載。

 しかし、バブル経済の崩壊により販売は右肩下がりとなり、1995年にモデルチェンジされた2代目は、日本の中型車らしいオーソドックスなセダンとなってしまい、2000年に生産が終了しました。

●ペルソナ(1988年)

 クルマの高級化が進み、中級サルーンにも高級さを求めるニーズが高まったことで、1985年にトヨタは「セリカ」のシャシをベースとした「カリーナED」を発売し、ヒットします。

 マツダも同様の手法で1988年に「カペラ」をベースとした4ドアピラーレスハードトップの「ペルソナ」を発売。

 搭載されたエンジンはカペラと同じ2リッターと1.8リッターの直列4気筒で、パワーはこのクラスでは平均的なものでした。

 一方で、内装は高級感の演出のためにラウンジソファータイプのリアシートとし、内装表皮の半分以上が革張りとなっているだけでなく、デザインを重視したためにグローブボックスを排除するほどのこだわりようでした。

 翌年にはマツダの販売チャネルの複数化により「ユーノス」から「ユーノス300」としても発売されました。

 しかし、ルーチェの販売が好調だったために、ペルソナは強く推されることが少なく、贅沢さに対するニーズもバブル経済の終わりとともに消え去ってしまったことで、1992年にひっそりと生産終了となります。

●ファミリアNEO(1994年)

 コンパクトなボディに強力なDOHCターボエンジンと4WDシステムで、モータースポーツの世界で人気だった7代目「ファミリア」でしたが、国内景気の低迷の影響などもあり、1994年にモデルチェンジされた8代目ファミリアでは高性能バージョンは用意されず、スポーティモデルとしてクーペの「ファミリアNEO」が登場しました。

 クーペでありながら背の高いデザインとしたことで、通常の3ドアハッチバック並みのスペースユーティリティを実現していました。

 海外ではスタイルが評価されましたが、国内ではデザイン的に優れていると評されることはありませんでした。

 エンジンも1.8リッターと1.5リッターの平凡な直列4気筒しかなく、やはり、従来のハイパワーエンジンが用意されていなかったことが不人気の要因のひとつだったともいえます。

 結局、1996年にファミリアNEOはラインナップから消滅するかたちで、国内販売が終了となりました。

●ロードペーサー(1975年)

 マツダはロータリーエンジン搭載車フルラインナップを完成するために、1975年、トヨタ「センチュリー」や日産「プレジデント」に対抗するプレステージセダン「ロードペーサー」を発売しました。

 当時のマツダは高級車を自社で開発できなかったために、オーストラリアのホールデン「プレミアー」をベースに、1.3リッター2ローターで135馬力を発揮する「13B型」ロータリーエンジンを搭載し、マツダのフラッグシップとして販売を開始。

 しかし、もともと5リッターを超える排気量のV型8気筒エンジンを搭載するためのボディは重く、燃費の悪さと日本人には好まれないスタイリングでした。さらに高額な車両価格のため、販売は低迷してしまいます。

 ところがロードペーサーは、騒音や振動が少ないロータリーエンジンが生む静粛性に加え、組み合わされていたトランスミッションがATだったこともあり、ロータリーエンジンが低回転数時に発生しやすい「カーバッキング(エンジンがスムーズに回らずガクガクする現象)」を感じることもない、上質な乗り心地でした。

 実力的にはプレステージセダンになりえたロードペーサーでしたが、1977年に登場した「ルーチェ レガート」にマツダのフラッグシップの座を譲ることになりました。

※ ※ ※

 昨今では「質実剛健」なイメージのマツダですが、かつての成功と失敗を繰り返してきたからこそ現在があると思います。

 ロータリーエンジンのような唯一無二の技術を磨き続けてほしいと願う人も多いと思いますが、いまでも内燃機関の技術革新とシャシの熟成を続け、積極的にMT車を用意して走る楽しさを追求する姿勢は、もっと高く評価されても良いのではないでしょうか。

くるまのニュース編集部

最終更新:7/8(月) 11:11
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