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ジャニー喜多川さん築いた功績 時代とともに振り返る

7/10(水) 1:45配信

THE PAGE

 ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川さんが9日死去した。日本の芸能界におけるジャニーさんの功績は、言うまでもなく大きい。ここではその足跡を、ジャニーさんが生まれ、ジャニーズ事務所が創業した昭和を中心に振り返ってみたい。

ロサンゼルス生まれのジャニーさん ショービジネスの申し子

 所属タレントからもファンからも“ジャニーさん”と親しまれた喜多川さんは1931(昭和6)年10月23日、アメリカは西海岸のカリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。果たしてどんな年だったかと調べてみると、ネバダではギャンブルが合法化され、ニューヨークではエンパイア・ステート・ビルが完成したばかり。発明王エジソンが没し、暗黒街の帝王アル・カポネに有罪判決が下った。

 日本は昭和6年。田河水泡の漫画「のらくろ」が連載開始され、東京浅草オペラ館とムーランルージュ新宿座が開場。同年生まれの芸能関係者には女優の八千草薫や山本富士子、香川京子、作曲家の中村八大、俳優の高倉健や勝新太郎、宇津井健、いかりや長介、大村崑、映画監督の篠田正浩や山田洋次らがいる。海外ではジェームズ・ディーンもこの年の生まれだ。

 ジャニーさん一家は1933(昭和8)年には大阪市で生活するようになるが、第二次世界大戦を経て、1947(昭和22)年になると子どもたちだけでロサンゼルスに戻りハイスクールに入学。劇場でアルバイトをする中、1950(昭和25)年の美空ひばりのロサンゼルス公演などを通して芸能界と接点ができたという。1952(昭和27)年には再び日本に戻り、駐日アメリカ大使館に勤務。その後、上智大学を卒業した。

 ジャニーさんにとって、アメリカは人生を左右する大きな存在だったことが推察できる。日本でも、アメリカのショービジネスに負けないようなエンターテインメントを見せることのできるタレントたちを作り出したかったのだろう。

カラー時代にフィットした華麗なるジャニーズタレント

 そんなジャニーさんがジャニーズ事務所を創業したのは、1962(昭和37)年。最初に手がけた所属タレントは真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、あおい輝彦による4人組グループ「ジャニーズ」で、4人はジャニーさんがコーチしていた子どもたちの野球チームに所属していた。

 ジャニーズ事務所が芸能界で存在感を発揮し始めたのは、高度成長が最盛期を迎える昭和40年代に入ってから。1964(昭和39)年に行われた東京オリンピックを機にカラーテレビ普及が加速、1970(昭和45)年に大阪で開催された万国博覧会の中継などでさらに普及に拍車がかかった。そんな時代背景のもと、1967(昭和42)年に結成のフォーリーブス(北公次、青山孝史、江木俊夫、おりも政夫)はカラー映像の時代にフィットした華麗なステージアクションで大きな人気を獲得。続いて1971(昭和46)年にスカウトされ、当初はフォーリーブスのバックダンサーを務めた郷ひろみも一躍ブレークし、1973(昭和48)年にはブロマイド年間売り上げがトップとなり、西城秀樹、野口五郎と“新御三家”と呼ばれた。

 余談となるが筆者はこの時代、親に連れられ「ほんものは誰だ?!」(日本テレビ)をはじめフォーリーブスや郷ひろみがゲスト出演したテレビ番組の収録に何度か足を運んだ。公開収録の会場内いっぱいに詰めかけたファンの凄まじい熱気や興奮に、都度驚いたことを記憶している。現在の大々的なアイドルイベントやコンサートに勝るとも劣らない盛り上がりだった。単にルックスだけで歓声を獲得しているのではなく、フォーリーブスであれば派手なアクションのたびステージの床が音を立てるような迫力が感じられる、「伝わるパフォーマンス」が根底にあったように思う。

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最終更新:7/10(水) 1:45
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