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コントロールで生きる!自身のスタイルを確立させた大阪桐蔭時代 田中誠也(立教大)【前編】

7/11(木) 13:09配信

高校野球ドットコム

 今年の大学生を代表する技巧派左腕として注目される田中 誠也。ストレートは140キロ前後ながら、空振りが奪え、さらにストレートと同じ腕の振りで投げ込むスライダー、チェンジアップと次々と打者を手玉に取る投球で、大阪桐蔭時代は甲子園優勝、ベスト4に導き、立教大入学後はリーグ通算13勝、2度の最優秀防御率を獲得している。

アップをする田中誠也

 その野球人生を追っていくと、投手ならば、誰しもが学べる要素が詰まっていた。前半は大阪桐蔭時代の取り組みについて語っていただいた。

周りはすべて速い投手ばかり。コントロールを突き詰めようと考えた

 田中の野球人生の始まりは小学校3年生から。左投手ということで、入部のときから投手を始め、試合で投げ始めたのは5年生からだ。

「野球を始めた時からキャッチボールは投球につながると思っていたので、投手の憧れはずっとありました」

 小学校時代の憧れの左腕は智辯和歌山時代の岡田 俊哉(現・中日ドラゴンズ)。細身で球速が速く、切れのあるスライダーを投げ込む姿に惹かれていた。

 今でこそ制球力抜群の左腕として活躍する田中だが、小学校時代、コントロールには自信がなかった。そして生駒ボーイズに進むと少しずつ頭角を表していく。

「練習量は中学のクラブの中ではかなりあるチームで、土日合わせて週5日で練習するチームでした。平日だと17時~22時まで練習をしていて、たくさん走りましたね。コントロールは少しずつ良くなっていたと思います」

 コントロールを良くするためにひたすらピッチング練習を取り組んで、コントロールを良くする感覚を掴んだ。

「僕は理論も大事にしていますけど、感覚も同じくらい大事です。僕は独特の握りをしていて、普通ならば握った時、Cの字になると思うのですが、僕の場合、逆のCのような形で、普通の投手が投げている握りのほうが投げやすいですね」

 そして中学では無安打無得点試合を2回、完全試合を1回達成するなど活躍を見せ、大阪桐蔭の門を叩く。大阪桐蔭に進むきっかけとして、
「生駒ボーイズのグラウンドは大阪桐蔭のグラウンドが近かったというのもありますし、僕の中学3年生のときに、藤浪 晋太郎さんがエースとなって、春夏連覇を果たしている姿を見てきて、そういう学校からお誘いをいただいて、中学の指導者、両親からも『いくしかないんじゃないか』といわれ進学を決断しました」

 入学後、練習メニューの質の高さに驚く。

「1つ1つのメニューをしっかりとこなさない後れてしまう感じはありました」

 練習についていくだけではなく、周りのレベルの高さにも驚かされた。

「先輩だけではなく、同級生もみんなボールが速くて、自分はかなり遅い方です。体が大きかったので、凄いところに来てしまったと思いました」

 中学3年生のときの最速は128キロ。同級生には自分よりも速い投手もいて、1年立つと、自分よりも球速が速い後輩投手も入部してきた。それを見てきて田中は「スピードで勝負するのではなく、他の部分で勝負しようと考えました」

 もちろん球速を高めたい考えはあったが、同じことをしていてもライバルに勝つことはできない。そこで、田中はコントロールを突き詰める事を考えた。

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最終更新:7/11(木) 13:09
高校野球ドットコム

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