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病気の子の姉として育てられて 母は5歳の私を遠くに手放した

7/12(金) 11:04配信

BuzzFeed Japan

病気や障害を持つ子どものきょうだいとして育つと、看護や介護に追われる親から十分なケアが受けられず、それが後の人生にまで影響することがある。

最近になってケアの必要性が気づかれ、医療・福祉関係者による啓発や当事者同士の支え合いの動きが広がっているが、まだ不十分だ。

千葉市に住む坂田菜摘さん(37)は5歳の時、3歳だった妹の深雪さん(35)が小児がんの一種、神経芽腫になり、両親が看護に専念するために遠く離れた祖父母の家に2年間預けられたことがある。

悲しみを誰にも訴えることができず、帰宅後も、摂食障害やうつを抱え、長く自己肯定感を持てずに苦しんできた坂田さん。

結婚・出産を機に自分の人生を見つめ直し始めた頃、恨みをぶつけてきた母ががんで帰らぬ人となり、大学に進学して遅れてつかんだ青春を生き直している。

幼い頃に得られなかった愛情や安心を渇望してもがいてきた女性が、自分の人生を歩み始めるまでの道のりを伺った。
【BuzzFeed Japan Medical / 岩永直子】

ある日突然、愛知の祖父母の家に

母親と自分、妹の3人で千葉市内に暮らしていた坂田さんの生活が急転換したのは、保育園に通っていた5歳の頃だ。父は母と折り合いが悪く別居していたが、母娘3人の平凡で穏やかな時間がその時までは流れていた。

まだ家に帰る時間には早いお昼頃、坂田さんの通う保育園に母の友人が突然、迎えにきたことを覚えている。

「母の友人から、そこに迎えにきた祖母に引き渡されました。私はそのまま祖母と一緒に新幹線に乗って、愛知県の渥美半島の祖父母の家に一人連れて行かれたんです」

母とは会えないままだった。ただ、祖母から妹が重い病気になったのだと聞かされた。父が引き取って面倒をみるとも言ったらしいが、祖父母から反対され、祖父母のもとで暮らすことに決まった。

振り返ればその1ヶ月ぐらい前から、体調を崩していた妹を母が様々な医療機関を訪ね歩いていた。後から聞いた話だが、その日連れて行った総合病院で、「大学病院で検査をした方がいい」と言われ、大学病院で全身に神経芽腫が転移していることがわかり緊急入院することになったのだ。

「命が危ない状態になっていたらしく、当時20代だった母もきっとパニックになったのでしょう。心の余裕がなかったのでしょうか。私はまったく母とも話すことがなく、母から何も説明されないまま遠くに連れて行かれました」

幼な心には、「何か大変なことが起きている。何も言っても仕方ないのだ」という諦めに似た気持ちしか浮かばなかった。

「急にそんなことになったのに、私は泣いたことや、『お母さんに会いたい』と一度も言ったことがなくて、祖母に『すごく助かった』と言われたことがあります」

本当は母に会いたかった。恋しくてたまらなかった。でも、誰にも言わなかった。

「5歳でも人が死にそうで大変だということはわかりますよね。私がここで騒いでも困るだろう、我慢しなくちゃいけないのだと思っていました」

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最終更新:7/13(土) 18:42
BuzzFeed Japan

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