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殿堂入り権藤博氏「一世一代の晴れ姿」球宴で表彰

7/12(金) 21:10配信

日刊スポーツ

今年野球殿堂入りを果たした元横浜(現DeNA)監督・権藤博さんが12日、東京ドームのオールスター第1戦の試合前に表彰された。

【写真】野球殿堂入りの表彰式でレリーフを受け取る権藤博氏

佐賀・鳥栖高の後輩、全セを率いた緒方監督から花束を受けた権藤さんは「一世一代の晴れ姿。ファンに感謝したいですね」と頭を下げた。

同じグラウンドでセレモニーを見届けた久美子夫人は「わがままな人。山あり、谷ありでした」と感慨深い表情でしみじみと見つめていた。

権藤さんがプロ野球人生の原点といったのが、ルーキーだった1961年(昭36)4月9日の初登板初先発になった巨人戦(後楽園)だ。

「プロに入って初めてマウンドに上がったのが後楽園(現在の東京ドーム)ですから、そこでこのように表彰されるのは何かの縁を感じますね」

その試合の1回、無死無走者で迎えたのが、長嶋茂雄さん。2ボールから左翼フェンス直撃の二塁打を浴びてプロの厳しさを教えられたのだという。

攻守交代ですれ違ったミスター長嶋からは「ゴンちゃん、ナイスピッチング! さぁ、どんどんいこう!」と声を掛けられたのだという。

次女嘉江子(かえこ)さんは「一芸に秀でた人。センス、一芸、さらしに巻いてみたいな人、それ以外はなにもできません。でも最高の職人だと思います」と話した。

現在は「野球評論家」と名乗っている。今も球場に足を運んでゲームをチェックする。2月の春季キャンプともなれば、宮崎、沖縄の各地を駆け回って取材を続ける。

キャンプ地では毎晩のように、なじみの記者たちとビールを酌み交わしながら遅くまで野球談議に花を咲かせる。とても高齢にふさわしくない生活には驚かされる。

監督、コーチの実績とともに、ピッチャーを「教える」「育てる」という意味で論じることができるのは、現在のプロ野球界では希少な存在といえる。

そのコツはどこにツボがあるのか? コーチ論を語る際、常に権藤さんの口からでるのは「目利き」という言葉だ。

現役時代は「権藤、権藤、雨、権藤…」と流行語になるほどの大車輪だった。新人の61年に35勝で最多勝、新人王などを獲得。投球回数の429回1/3は、セ・リーグ記録だ。

翌62年も30勝で最多勝を獲得したが、その後は右肩痛で野手に転向する。投手復帰も69年に現役引退。8シーズンの短い現役生活だった。

「先発」「中継ぎ」「抑え」といった分業制の確立は、権藤さんの酷使という体験が裏打ちしている。本人は「おれは投げすぎで肩を壊したんじゃない」と突っぱねる。

「投げすぎはよくないが、投げる必要があるときは投げなくちゃいけない」

高校生の球数制限が問題化しているが、それは後日執筆する。「権藤、権藤、雨、権藤…」の主役がいう「投げるべき」という指摘には説得力がある

最近はユニホームを脱いですぐに1軍の指導者になる人材が目立つ。権藤さんは中日2軍コーチを8年間も務めた。近鉄、ダイエーで投手コーチを経て、横浜監督にたどり着く。そしてリーグ優勝、日本一に導くのだった。

「高校、大学、社会人と年々レベルが高くなっています。そこのトップがプロに入ってくるのだから、手取り、足取り教えても仕方がない。大事なことは教えるほうがちゃんと見極めることができるかどうかです」

本人がいう「目利き」という言葉に、指導者のあるべき姿が集約される。球界へのメッセージを問われた権藤さんは「プロの原点は何かを考えてほしい」と訴える。

「スピードとか、パワーとか、人のやれないことをやるのがプロの世界。わたしには野球しかないですから。その素晴らしさ、面白さを伝えていきたい」

オールスターで後輩たちを見守った名伯楽。御年80歳。これからも“権藤論”を伝え続けるつもりでいる。

【編集委員・寺尾博和】

最終更新:7/12(金) 21:30
日刊スポーツ

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