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ハワイアンブルーのレトロな車両、伊豆急行100系が2度目の引退

7/12(金) 17:40配信

鉄道コム

 伊豆急行が開業時に導入した100系。この形式で最後まで営業用車両として活躍していたクモハ103号車が、7月7日にラストランを迎えました。一度引退しながらも復活し、2度目の引退を迎えたクモハ103。その最終日の模様を、伊豆急行線や100系の歴史を交えつつご紹介します。

100系50年の軌跡

 1961年に開業した伊豆急行線。同線の開業と同時に導入されたのが100系です。「オーシャングリーン」と「ハワイアンブルー」という南国らしい塗装で登場し、車内も一部を除いて向かい合わせのボックスシート配置と、観光を意識した車両として登場しました。
 開業当初は22両という小所帯でスタートしたものの、両運転台のクモハ100形や、1等車(現在のグリーン車)と2等車(現在の普通車)の合造車であるサロハ180形など、ローカル利用から観光利用までをカバーできるさまざまな形態を持って製造されました。また増備車や改造車として、高運転台仕様の車両や、車体更新車1000系、私鉄唯一の食堂車だったサシ191「スコールカー」などが登場。総数53両ながら、かなりのバリエーションを持っていました。
 さらに伊豆急行は、1985年に2100系「リゾート21」を導入。マイカー利用者に対して100系では訴求力が弱いことを解決すべく、「海の景色を見るのに『海を向いた座席』があって何がおかしいのか」「ドイツ車BMW並のゆったりシートの採用で定員が減ったってかまわない」などのコンセプトの下に、斬新なデザインで計5本が製造されました。
 一方、100系でも特別仕様のグリーン車、サロ1801「ロイヤルボックス」を1987年に改造により投入。窓側に向きを固定できる座席など、車内設備の豪華さが好評を博し、リゾート21の各編成にもさらに進化した内装で導入されました。ちなみに、リゾート21の最初の2本は、足回り機器を100系から流用しており、実質的な100系の車体更新車とも言えそうです。
 そんな100系も、登場から40年ほどが経過し老朽化には勝てず、2000年からは置き換えが開始。2002年をもって、車体更新車の1000系を含む、全ての100系が現役を退きました。車両もほとんどが解体されてしまいましたが、クモハ101が製造元の東急車輌製造にて保存されたほか、クモハ103が両運転台の特徴を活かし、車両基地の入換用車両として残されました。
 そして、引退から約10年ほどが経過した2011年。伊豆急行は開業50周年企画として、100系クモハ103を復活させることを発表しました。約40年にわたる現役生活に加え、海に近い伊豆高原の車両基地に留置されていたため、車両はかなりの傷みが見られたようです。しかし伊豆急行は、3か月ほどかけてこれを修繕。同年11月にイベント用車両としての復活を遂げました。
 復活後のクモハ103は、当初は南伊東~伊豆急下田間でイベント列車や貸切列車、テレビなどの撮影用列車として活躍。冷房を搭載していないため夏の営業は不可能でしたが、レトロな車両として人気を博していました。しかし運用可能な区間は伊豆高原~伊豆急下田間へ、さらには片瀬白田~伊豆急下田間へと、だんだんと縮小されていきました。
 運用可能区間が短縮されたのは、保安装置「ATS」の問題。伊豆急行線では1969年に国鉄のATS-S形を基にしたATS(IK形-ATS)を導入しており、100系もこれに対応した機器(当初はATS-S形の同等品、現在はATS-SI形)を搭載していました。しかし100系引退後、まずは直通先であるJR伊東線が、新型のATS-P形を導入。伊豆急行線でも保安度向上のために伊東~伊豆高原間、伊豆高原~伊豆熱川間と順次ATS-Pを導入していきました。100系もこれに対応すれば引き続き運用が可能だったのですが、伊豆急行によると「費用面やスペースの問題で新型ATSを設置することは難しい」といい、100系への設置は見送られていました。
 また、保安装置の問題に加え、自動車の車検に相当する全般検査の期限が2019年夏に迫っていました。このタイミングにおいて、伊豆急行はクモハ103の2度目の営業運転を終えることを決定。1月から引退記念イベントを展開し、最後の営業運転となるラストランツアーを7月7日に開催しました。伊豆急行によると100系の今後については未定だといいますが、保安装置の問題や老朽化の進行などにより、さらなる復活は難しいようです。

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最終更新:7/12(金) 17:42
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