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有馬稲子、ノーベル賞作家を電車で“ナンパ”。以来…親代わり務めてもらう間柄に

7/13(土) 7:02配信

テレ朝POST

1965年、萬屋錦之介(中村錦之助)さんとの結婚生活は破綻した有馬稲子さんだったが、舞台の仕事は次々と舞い込み、翌年『風と共に去りぬ』(脚本演出:菊田一夫)のスカーレット・オハラを演じることになる。

有馬さんは文字通り、からだを張って階段を転げ落ち、本物の馬まで登場する『風と共に去りぬ』は大評判となるが、有馬さんには、きちんと基礎を積み重ねていないというコンプレックスがあり、ひとり悩んでいたという。そして有馬さんは驚きの決断をする。

◆女優デビュー17年、「劇団 民藝」でイチから修業し直し

『風と共に去りぬ』の舞台を終えた有馬さんは、そのまま商業演劇の道を進むべきか、それとも思い切って新劇で勉強し直すべきか選択することに。そして一から俳優修業をやり直すべく、宇野重吉さんが創設した「劇団 民藝」に入ることを選んだという。

「『商業演劇では主役で活躍し、スターと呼ばれているのに何で今から民藝なの?物好きな』って色々な人に言われたけど、それでも私は行って良かったと思いますよ。

『風と共に去りぬ』をやったとき、スカーレット・オハラというのは、ああいう白黒がはっきりしている役だから私もできるけど、これから先年齢を重ねていって、年をとった役をやることになったときには私の演技力じゃダメだと思ったの。だから、勉強しようと思って、宇野さんに言って民藝に入っちゃったわけ」

-「劇団 民藝」ではいかがでした?-

「本読みから普通の商業演劇でやっている本読みとは全然違いました。とにかく最初の『思い出のチェーホフ』という芝居は、立って手紙を語るだけの芝居。立ち稽古なしで1カ月間ただ読むだけ。そりゃ絞られましたね。でも良かった。台本というのはこういうことを読むのかというのがわかりましたからね。

それまでは台本を受け取ると、ただセリフを覚えてるだけだったのよ。何で『ここで笑う』と書いてあるのか。なぜ急にヒステリックになるのかとかね、ト書きに書いてあるでしょう? それはなぜなのかって考えさせられたんですよ。それが民藝に行ってすごく良かったことだと思います」

-仕事も順調で、美人女優として映画の話も次々にあったのに、あえて民藝へというところがすごいですね-

「勉強が好きなんですよ。それで宇野さんが好きだった。宇野さんに惚れていたんですよ(笑)。尊敬していましたからね。だから宇野さんに付いて、ちゃんとした女優になろうと思っていました」

-そのときにはずっと「劇団 民藝」でやろうと思っていたのですか-

「そうです。でも、結果的には民藝の芝居のチケットを売りに行った先の人と結婚してやめることになっちゃったわけですから、それが私のバカなところなんですけどね(笑)。

宇野さんは『徹底的に有馬稲子の改造をするつもりだったのに、こんなに早くやめることになるとは思わなかった』ってすごくガッカリしたみたい。2年ぐらいでやめてしまいましたからね」

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最終更新:7/13(土) 7:02
テレ朝POST

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