ここから本文です

明治の優勝杯に願掛け 元小結緑島獲得 

7/14(日) 21:41配信

北日本新聞

■血縁の高木さん(滑川)保管、朝乃山応援「昇進後 これで祝杯」
 
 相撲の立浪部屋を創設した立浪弥(や)右衛(え)門(もん)親方=滑川市出身、元小結緑島(みどりしま)=が力士時代の1903(明治36)年に獲得した大阪合併相撲の優勝杯が、同市横道の高木哲之助さん(68)宅で保管されている。高木さんは緑島が横綱を破って優勝した縁起を担ぎ、朝乃山関が上位陣を破って三役に昇進したら、優勝杯で一杯飲もうと楽しみにしている。(新川支社・松下奈々)

 立浪弥右衛門親方(1877~1952年)の本名は高木友之助。明治から大正にかけて力士として活躍した。1902年の入幕時は身長166センチ、体重79キロと小柄だったが、持ち前の怪力を生かした相撲で、横綱ら上位陣を苦しめた。

 当時は、横綱太刀山(たちやま)と梅ケ谷(うめがたに)、関脇玉椿といった県出身力士が活躍しており、滑川市の横道神明社には4力士が並んだ写真が残されている。引退後は、横綱の双葉山と羽黒山、大関の名寄岩(なよろいわ)の「立浪三羽ガラス」を育てた。

 高木さんは、立浪親方の兄のひ孫にあたる。優勝杯は純銀製で、直径約20センチ、高さ約6・7センチ。高木さんによると、緑島は大阪合併相撲で大阪相撲の横綱若島に勝って優勝した。

 高木さんは祖父と父から優勝杯や、太刀山(たちやま)が描いた富士山の絵を受け継ぎ、大事にしてきた。優勝杯に日本酒を注いで飲んだことはこれまで2回しかない。

 高木さんは「この優勝杯で飲む酒の味は格別。朝乃山関がいい相撲をして、三役に昇進したらこの優勝杯で一杯飲みたい」と話している。

北日本新聞社

最終更新:7/19(金) 16:37
北日本新聞

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事