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【あの夏の記憶】常葉菊川“伝説の二塁手”の今 驚きの守備練習法と失策続きの過去

7/14(日) 21:02配信

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福祉関係に進むきっかけは甲子園後に声をかけてくれた親子だった

 甲子園を沸かせた“伝説の二塁手”。高校球児離れしたフィールディング、巧みなグラブさばき、正確無比な打球判断――。「セカンドに打ってしまえば望みはありません」という名実況も生まれた。常葉学園菊川(静岡)の町田友潤内野手のプレーに野球ファンは魅了された。2008年の夏の甲子園では決勝で大阪桐蔭と対戦し、数々の名プレーでその名を全国に轟かせた町田さんの今に迫った。今回は後編。

【動画】「セカンドに打ってしまえば望みはありません!」08年夏に伝説となった常葉菊川の名二塁手・町田友潤さんの今

 現在は浜松市内で障害児の療育施設を経営する傍ら、母校・常葉菊川高校野球部の指導も行っている。基本は内野守備を教えているが、華やかなファインプレーよりも「アウトにすることが一番大事」だと伝える。

「バッティングもそうですが、守備にも間が必要なんです。例えば、打球が来てすぐにパッと構えて捕ったら、土のグラウンドで(イレギュラーに)跳ねたときに対応できない。なので、自分が思っている以上に早く捕球体勢を取る。その“間”を教えてあげると、サマになるというか。『あ、うまくなってきたな』というのを感じますね。イレギュラーに反応して捕れるようになれば、選手自身が一番嬉しいのかなと思います」

 町田さん自身、初めから天才的なプレーができていたわけではない。中学時代はショートを守っていたが、常葉菊川に進学後にチーム事情もありセカンドに転向。公式戦ではエラーを繰り返していたものの、練習時間のほぼ半分を占めていたというサイドノックで鍛えられた。

「ノッカーと自分の間にボールを散りばめておいて、ボールに当たったらバウンドって変わるじゃないですか。その反応の練習をやっていました」と当時の練習を振り返った。

 初めて甲子園に立ったのは2007年春。アウトを取って「嬉しい」という感情が、出場を重ねるにつれて「ほっとした」「よかった」という安堵に変わっていった。当時の好守を特集した映像が動画サイトにアップされているが、「『見ました!』と言われるんですけど、恥ずかしいです」と町田さんは照れ笑いを浮かべた。

 数々の鮮烈なプレーで甲子園を沸かせた男は、早稲田大学に進学したものの、1年で退部。その後、ヤマハに入社し、野球を続けたが、腰の故障に悩まされ13年に引退。現在は浜松市内で障害児の療育施設を経営している。

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最終更新:7/14(日) 21:02
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