ここから本文です

「父もきっと喜んでくれた…」 師匠や亡き父、家族の支えに感謝 生きている限り芸を追究 中村一雄さん人間国宝

7/20(土) 9:44配信

琉球新報

 「生きていれば父もきっと喜んでくれたと思う」。琉球古典音楽の人間国宝に認定されることが決まった中村一雄(いちお)さんは、記者会見後、1988年に亡くなった父昌福さんを思い天を仰いだ。17日の会見は、師匠の故知念秀雄さんから譲り受けた「藝道無限」の掛け軸が飾られた自宅で行われた。中村さんは「芸に完成はない。生きている限り磨き続けたい」と表情を引き締めた。


 文化庁担当者から連絡を受けた時、三線を始めた久米島での日々や、師匠と家族の顔が浮かび「周囲に支えられてここまで来たんだという感謝の思いがこみ上げてきた」という。

 20代後半まで久米島で過ごし、幼い頃は村の祭りなどで三線を弾いていた昌福さんの後を付いて回り「謡心」を学んだ。1970年に島在住の野村流三線演奏家の野村義雄さんに弟子入り。芸能への理解が薄い時代だったが「ちゃんとやれば世間から認められる」と心を決め、「人の3倍練習した」と振り返る。

 民間金融機関で働きながら「雨垂れ石をうがつ」を信条に、54歳で退職するまで、仕事と三線の二足のわらじをはき続けた。本島転勤を機に故仲田清さんに教えを請い、74年に知念さんに弟子入り。知念さんは、厳しい指導で中村さんに芸の道を明確に示した。中村さんは芸の確かさと誠実な姿勢が評価され、新垣万善さんや故宮城美能留(みのる)さんなど他の実演家と多くの舞台を踏んだ。

 原点の久米島の歌を大切にしたいとの思いは強く、独演集や独演会のタイトルはいずれも「あたら久米島謡心」と付けた。自ら企画・立案し2010年に始めた「久米島古典民謡大会」は、9月に第10回記念大会を迎える。

 琉球古典音楽の歌三線について「歌の意味をかみしめて魂を込めて歌えば、おのずと表現ができる」と話す。島で父や師匠から受け継いだ「謡心」や、芸能を受け継いできた先達への感謝を胸に、さらなる芸の追究を誓う。



「まじめな努力家」 関係者喜ぶ
 

 中村一雄さんが「琉球古典音楽」の人間国宝に認定されたことを受け、芸能関係者からも喜びと期待の声が上がった。

 中村さんが最初に師事した野村義雄さんは「中村さんはまじめで努力家だった。知らせを聞いて驚いたが喜んでいる。今後も頑張ってほしい」と話した。

 中村さんがコンクールで新人賞を受賞した時に審査員を務めた照喜名朝一さんは、「彼にはぴかっと光るものがあり『いいものを持っているから頑張りなさい』と声を掛けた」と振り返り「既に取り組まれているが技量向上や後輩の育成など自身に磨きを掛け、太陽のように輝いてほしい」とうれしそうに語った。

 「組踊立方」人間国宝の宮城能鳳さんは「中村先生の認定は実演家はもとより県民の誇りだ。組踊や琉球舞踊の魅力と素晴らしさを世界に紹介すべく、共に頑張りたい」と激励した。

 「組踊音楽歌三線」人間国宝の城間徳太郎さんは「琉球古典音楽から人間国宝が生まれてうれしい。沖縄の芸能はますます発展していくだろう」と期待した。同じく「組踊音楽歌三線」人間国宝の西江喜春さんは「琉球古典芸能からの人間国宝誕生は、沖縄の芸能が重要視されていることであり、喜ばしいことだ。心強い」と語った。

 「組踊音楽太鼓」人間国宝の比嘉聰さんは「人間国宝は重責だが、誰もがなれるものではない。沖縄で芸能に励む人にとって良い刺激になる」と述べた。

 沖縄伝統音楽野村流保存会の勝連繁雄会長は「中村さんは古典音楽の王道を歩んでいる印象がある。気負わずに活躍し続けてほしい」と言葉を贈った。

※注:城間徳太郎さんの「徳」は「心」の上に「一」

琉球新報社

最終更新:7/20(土) 9:44
琉球新報

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事