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芸能界の酒豪番付では…大関!藤田弓子、亡き親友・太地喜和子と「オールドのボトルを…」

7/20(土) 7:01配信

テレ朝POST

ワイドショーのアシスタントを2年間つとめた後、30歳を「女優元年」として新たなスタートをきった藤田弓子さん。念願だった映画にも『泥の河』(1981年・小栗康平監督)をはじめ多数出演し、大林宣彦監督『さびしんぼう』でキネマ旬報最優秀助演女優賞を受賞。芸能界屈指の酒豪としても知られていた。

39歳と364日で結婚した放送作家のご主人とともに、当地の劇団「いず夢(む)」を主宰するなど、現在もテレビ、映画、舞台、ナレーションなど幅広い分野で活躍中。

◆39歳と364日目にシャレで結婚?

-念願だったという映画もすてきな作品が続きました-

「『泥の河』、『さびしんぼう』、内田裕也さんと一緒だった『水のないプール』(1982年・若松孝二監督)とか、良い監督といっぱい会えました。ドラマでも大好きな向田邦子さんに可愛がっていただいて、『冬の運動会』(TBS系)というドラマをやることができましたしね。

そして、ターニングポイントとも言える作品が『マー姉ちゃん』のお母さん役。33歳でした。スタッフもキャストもみんなすてきな人ばかり。今でもみんなで会っているんですよ。

もう亡くなった方もいらっしゃるけど、ディレクターや役者だけでなく、カメラさん、音声さん、美術さん、結髪さん、当時NHKの総局長だった方とか、いろんな人が集まるの」

-『マー姉ちゃん』から40年、すごいですね-

「それは『あしたこそ』のときに教えていただいたんです。番組は役者とスタッフ全員で創るものなんだって…。私の亡くなったお父さん役の中村俊一さんが劇団を主宰していた方なので、いつもそういう風にやってくれたんですよ。私にお父さんがいないことも分かっているからお父さん代わりになってくれてね。

自分は死んじゃう役なので出ていないのに、スタジオ撮影が終わる頃に来てくれて、『めし食うぞ』って言って、実践して下さったんです。『家族のこういう雰囲気が画面に出るからね』ってやってくれたのね。

それを23歳のときにやってもらったから、今度は私がやらなくちゃと思って。『飲みに行こう』『食べに行こう』『踊りに行きましょう』って言って、当時はディスコ(笑)。総局長まで『あしたこそ』って私が作ったTシャツを着て踊ったりして(笑)。だから『マー姉ちゃん』のときにも同じようにね」

-そういうことが受け継がれているのは良いですね。特にスタッフの方たちは過酷なわりに報われなかったりしますから-

「そうですよ。一緒に作っているのにね。だからみんなでご飯を食べに行くの。そんなことをいまだにやっていますよ。やっぱり人に恵まれたんですね。スタッフもキャストもみんな良い人ばかりでしたから」

-藤田さんがとても明るくて包容力があるので、皆さんが集まってくるというのはあるでしょうね-

「いえいえ、一緒に飲んでいると楽しいからね(笑)。だんだん年齢を重ねてくると、『今度会いましょう』なんて言っていたら、その前に死んじゃうかもしれないじゃない(笑)?だから、『今度って、いつ?』って言って、すぐに予定を決めちゃうの」

1984年、放送作家の河野洋さんと結婚。現在はテレビ、映画、舞台、ナレーションと幅広い分野で活躍しながら、静岡県伊豆の国市で自然に囲まれた生活を満喫中。当地の劇団「いず夢」を主宰し、定期的に舞台公演も行っている。

-39歳のときにご結婚されて-

「そうです。39歳と364日にね。それはシャレですけど(笑)。別に結婚否定論者じゃないんですよ。恋愛はいっぱいしてきたし、結婚の話が出たこともあったんですけど、私は付き合っている最終ゴールが結婚じゃないほうが良いなあと思っていたんですよね。

なぜだか知らないけど、結婚の話をされた瞬間にスーッと冷めて引いちゃうの。すごい恋愛をしていて離れたくないと思っているんだけど、結婚の話になるとダメなの。だから恋人には『どうして?』ってずいぶん聞かれましたね」

―それは、いつまでも男と女でいたいということなのでしょうか-

「いえ、結婚という形になりたくなかったのね。一番大事な人だったし、恋人同士ではもちろんいたかったんだけど、結婚とか、家庭というイメージが薄いの。私が生まれた家には、両親と祖父母、それに戦後だったから、父のお姉さんの一家が二組、居候している大家族だったんだけど、母と2人で家を出るまでのことはほとんど忘れちゃっていますからね。

だから家庭とかいうイメージがないの。高校生のときに好きな人がいて、清い初恋だったのね。有名な老舗の跡取り息子でご家族が大勢いらっしゃるおうちにご飯を食べにおいでと誘われて行ったことがあったんだけど、足がすくんで入れなかったの。

結婚というと、そういうイメージがあって、『私はあの中に入れない』って思っちゃう。いまだにそんなところがあって、結婚した相手がいるのに、旦那さんとか、そういう感じじゃないです(笑)」

-ご一緒に劇団もされていますから仕事仲間という感じでしょうか-

「すごく大事な人なんですよ。一緒に住んでいるんですけどね。なのに、何か慣れない(笑)」

-お母様はご結婚について何かおっしゃっていました?-

「一応籍を入れようみたいなことになったときに母は『私はどうなるの?』って言ったんですよ(笑)。私は母をないがしろにはしないし、何があっても母と離れたくなかったのね。母が好きで母と暮らしているのが好きだから、亡くなるまで3人で暮らしました。ずっと一緒に色々なことをしゃべってね」

-本当に仲が良かったんですね-

「そう。自分で勝手に『一卵性母子』って言ってね。だから母が亡くなったときの喪失感は今でもだめですよ。もう22年になるんですけどね。

『人に迷惑をかけたくない。老醜をさらしたくない。ボケたくない』ってすごく言っていた人です。本当にそういう風に亡くなっちゃった。

亡くなる前日までお友達と電話でしゃべって笑っていました。でも、やっぱり心臓がちょっと弱かったんでしょうね。その前の日まで伊豆の家に一緒にいて、ゲラゲラ笑いながら3人ですき焼き食べて、いろいろな話をしてね。

そのとき母が『何かこのすき焼き味が薄いわね』って言ったのをすごくよく覚えている。部屋に行ったら、もう倒れていたという状態だったの。『カッコ良すぎだよ。もうちょっと迷惑かけていいんだよ』って思いましたけどね」

1997年、伊豆の国市に「韮山文化センター 韮山時代劇場」が完成し、そのこけら落としの町民オペラに参加したことをきっかけに、ご主人とともに劇団「いず夢(む)」を立ち上げたという。

「劇団員は、学生、社長、保育士、看護士、住職、サラリーマンなど、職業も年齢もさまざまでいろんな方がいるんですけど、私はそういうのが好きなの。いろいろ変わった人こそ面白かったりするんですよ。だいたいね、プロの役者でも変わった人が多いですよ(笑)。

でも、いい加減な人はいないんです。普段どんなにいい加減に見えても、芝居をやることに関しては、ものすごくみんな情熱的。いつも主人が書いたオリジナル脚本で舞台を作るんですけどね、今もちゃんと面白い作品になっているので、ひと安心。認知症の気配がありませんのでね」

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最終更新:7/20(土) 7:01
テレ朝POST

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