ここから本文です

日本とあの国の狭間にいた少女の「ふるさと」への悩みを氷解させたのは、スタバだった

7/20(土) 17:46配信

BuzzFeed Japan

6歳でイランから日本にやってきた少女は、3年のブランクを経て日本での教育を受けられるようになった。自分とは何者なのか。揺れ動く思いを抱えながら成長した。その悩みに答えを出したのは、東京のスターバックスで働いた体験だったという。

1984年生まれのナディさんは、イランから日本に出稼ぎに来た両親に連れられて6歳の時に来日した。

高校生のころ、家族揃って在留特別許可を得た。国内の大学を卒業し、都内の大手メーカーに正社員として就職。日本国籍の男性と結婚して二人の子を育てながら働く、日本社会の一員だ。

6月17日、その経験をつづった著書「ふるさとって呼んでもいいですか 6歳で『移民』になった私の物語」(大月書店)を出版した。

ナディさんに、「ふるさと」と呼ぶ日本社会への思いを聞いた。【BuzzFeed Japan/貫洞欣寛】

戦争に翻弄されて日本へ

ナディさんの父親は、祖父から受け継いだお店を経営していたが、イラン経済の低迷などからうまくいかなくなり、借金を抱えて店を閉じた。家を売り、父はタクシーの運転手となった。それでも生活は立て直せず、日本に、出稼ぎに出ることになった。父親が、近所に住んでいた人が日本に出稼ぎに出ていたことを聞いたのだ。1991年のことだ。

当時、イランと日本の間には査証免除協定があり、短期滞在であれば相互に事前にビザを取得する必要が無かった。イラン・イラク戦争(1980-88年)や米国の経済封鎖などでイラン社会が疲弊するなか、多くのイラン人が日本に向かっていた。


まだバブルの余韻が残っていた日本は当時、建設や製造業などで人手不足が続いていた。企業は正規の労働ビザがなくても、イラン人を必要として次々と雇っていたのだ。

両親と当時6歳のナディさん、幼い弟2人の5人家族みんなでで、日本に向かうことにした。

ナディさんがこの時、日本について知っていたのは、当時イランのテレビで大人気だったNHKのドラマ「おしん」と、アニメの「みなしごハッチ」といったテレビ番組のことだけ。「私もハッチやおしんがいる国に行けるんだ。着物を着るのかな」と素直に喜んだ。

一家は入国審査で4時間足止めされたが、結局入国を認められた。当時は労働力不足の現実の中で「黙認」に近い状況があったのだ。

首都圏近郊のイラン人が多く暮らすアパートに落ち着き、日本での暮らしが始まった。両親は日中、日本企業の工場で働いた。ナディさんは自宅で弟たちの面倒を見た。周囲のイラン人や日本人、アパートの大家さんが、何かあれば手助けしてくれた。


公園で遊ぶと、同世代の日本人の子どもたちとも友達になり、少しずつ日本語も話せるようになっていった。だが、ナディさんには、やりたいことが一つあった。

1/4ページ

最終更新:7/20(土) 17:46
BuzzFeed Japan

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事