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野球の練習よりつらい養豚業の世界へ

7/21(日) 11:00配信

東スポWeb

【異業種で輝く元プロ野球選手】「仕事自体はキツいんですけどやりがいはある。手間暇かけて育てた豚の味を皆さんに知っていただきたいので」

 熱い口調でこう語るのは日本ハム、DeNAで中継ぎ投手として活躍した菊地和正さん(37)。現在は群馬県高崎市でブランド豚「上州勝五郎豚」の飼育、販売に携わっている。「この仕事を始めてまだ6か月程。毎日が勉強ですが、ようやく畜産、養豚業の魅力が分かってきた気がします」
 菊地さんは14年末にDeNAから戦力外通告を受け、15年の独立リーグでのプレーを最後に現役引退。その後は母校・上武大や群馬の強豪校・桐生第一高で指導者の道を歩んでいた。

 そんな人生が一変したのは昨年の初夏だった。「叔父が養豚業を営んでいたため、現役時代からお中元やお歳暮でその豚肉を野球関係者や知人に配っていたのです。その一人から『おいしいからブランド豚販売を事業にしたらどう?』と提案がありました。それなら、と軽い気持ちで販売の注文を手伝う会社を立ち上げたのですが、携わるにつれ『ブランド豚を売るからには養豚を詳しく知らないと』という思いが強くなりまして。昨年末に野球指導を辞め、叔父に頼んで1月から営業活動をする土日を除く平日に養豚場で働かせてもらうことにしました」

 24時間365日稼働する養豚場の現場は想像以上に厳しい世界だ。毎日午前5時に起床。自宅のある高崎市内から軽トラを飛ばし、7時前には榛名山中腹に広がる東京ドーム2個分ほどの仕事場へ。1日の仕事は飼育小屋の掃除から始まり、群れをなす豚を押しのけながらの糞尿処理は過酷を極める。

「スコップですくった豚糞を一輪車に山積みにして堆肥小屋に運ぶのが日課なのですが、なにせ豚が大小合わせ常時5000~6000頭もいますから。その量は半端じゃない。最初のころは数十分作業しただけで腕と指先が棒になり、全く動かなくなりました。今はだいぶ慣れましたけど、野球の練習より間違いなくキツいですね」

 午前中を使って飼育小屋の清掃を終え、午後は出荷作業と豚舎内の豚の移動に追われる。養豚場の1か月の出荷頭数はおよそ600頭。出荷可能な豚が集められる「肉豚舎」から豚が出荷されるたび、別豚舎で育てられた豚を空いたスペースにあてがう。

「肉豚舎に運ぶ豚1頭の重さは100キロ以上。これを1頭ずつ移動させるのですが、暗い豚舎で育てられる豚は警戒心が強く簡単には動かない。結局、自分の手で重い豚を運ぶしかない。これも人には言えない養豚ならではの苦労です」

 餌やりや豚の体調管理も含めるとあっという間に1日の作業が終わる。夕方、帰宅するころには心身ともに疲労困ぱい。野球界で培った体力があるとはいえ、並大抵の労力ではない。

 それでも菊地さんは弱音を吐かない。それどころか「一度も辞めたいと思ったことはない」と、こう続ける。「安易な気持ちで畜産に飛び込んだわけではないですし、何よりブランド豚は生産者の日々の努力が詰まった逸品。それを販売するからには自分自身が汚い仕事、つらい仕事を嫌がっていては生産者の方々に失礼。売る資格もないと思います」

 こうした畜産への情熱が周囲の共感を呼ぶのだろう。菊地さんが手がけるブランド豚は地元を中心に評判も上々で、群馬県内で多数の飲食店経営に関わる同級生の近藤俊兵さんや販売代理店を務める株式会社オルビスの協力もあり、販路を着実に拡大している。

 今後は豚の生産、販売を通じ「畜産や農業に携わる人たちの苦労や貢献を世間一般の方々に伝えていきたい。その中で自分自身も成長していければ」と意気込みを語る菊地さん。養豚への愛情と誇りを胸に異色右腕の奮闘は続く。

 きくち・かずまさ 1982年、群馬県生まれ。樹徳高、上武大を経て2004年ドラフト6巡目で日本ハム入団。05年9月に一軍初登板。11年に戦力外通告を受け、同オフにDeNAへ。14年に2度目の戦力外通告を受け、15年に独立リーグ・群馬に入団。同年末に現役引退後、16年に上武大、桐生第一高のコーチに就任。18年5月に株式会社S.G.R企画を設立。今年1月からは叔父が営む石曽根養豚で豚の生産、飼育に携わる。プロ通算成績は177試合9勝7敗1セーブ、防御率3・54。181センチ、右投げ右打ち。家族は妻と1女。

最終更新:7/21(日) 11:02
東スポWeb

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