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障害者が国政に打って出る理由 「障害者が幸せな社会はみんなが生きやすい社会」

7/21(日) 9:02配信

BuzzFeed Japan

木村英子さん 生後8ヶ月の事故で重度障害者に

木村英子さんは、生後8ヶ月で、歩行器ごと玄関に落ちて脊髄を損傷し、車いすの重度障害者になった。車いすで壇上に上がり、自身の口で立候補の理由を訴えた。

「障害も年々重くなっているので正直とても迷いました。心の中には障害者の厳しい現状を打開するためには、障害者が国会に出なければならないという確固たる思いがありました」

「でもそれが私でいいのかと言う自問自答する日々でしたが、このチャンスを逃したら重度の障害者が国会に参加できないと思い気持ちが固まってきました」

そして、1970年代から障害者運動を続けてきた先駆者たちが亡くなり、介護保障の権利が制度改正で危うくなっていることが決め手だったと明かす。

「激しい障害者運動で勝ち取ってきた介護保障が、65歳からの高齢者を対象とした介護保険に統合されそうになっている現状の中で、地域で自立生活をしている各地の障害者から、これまでの生活が壊される、助けてほしいという相談が増えて、なんとかしなければと強く思ったからです」

施設や養護学校での生活を強いられた子ども時代

木村さんは今、障害者の自立支援の活動を続けているが、それは自身の経験がベースにある。

「物心ついた時から施設と養護学校で育ちました。私たち、障害者は施設に入りたくて入ったわけではありません。そこしか生きる場がないのです。障害者を抱える家族は、毎日介護をし続けることに疲れ、体を壊し、介護ができなくなり、最後は私たちを施設に預けるしかありません」

「施設に預けられなかった場合、一家心中を図ったり、我が子の障害者を殺してしまったりすることもあります。私の場合も例外ではありません。国は今まで障害者の責任をずっと家族だけに負わせ、ずっと社会から孤立させてきました」

「そして、私たち障害者が、地域で生きていける環境を作らなかったせいで、やっとの思いで施設から地域に飛び出してきても、介護者がいなければ、施設に生かされてしまうのです。私はもう絶対に施設に戻りたくはありません。その思いで必死で地域で生活をしています」

「しかし、この自立生活はとても危ういものです」と木村さんは続ける。

介護保障制度がなかった時は、街頭で介助をしてくれるボランティア募集のビラを配って、人手を確保するしかなかった。現在は障害者自立支援法ができ、介護制度が整ってきたが、それでも生活が安定しているわけではない。

「人手不足は深刻で、特に重度の障害者の生活は逼迫しています。このままではせっかく施設から飛び出し、やっとの思いで地域での自立生活を実現したのに、私たちの生活は壊されそうになっている。この現状をどうにかしなければと思い、命がけで選挙に出ることを覚悟しました」

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最終更新:7/21(日) 9:41
BuzzFeed Japan

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