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東京からワンコインで行ける異空間、「鶴見線」沿線に秘められた近代日本の熱き歴史とその情景

7/21(日) 11:30配信

アーバン ライフ メトロ

東京・蒲田から2駅の場所が始発

 JR鶴見線。東京の最南端・蒲田から2駅のJR鶴見駅(横浜市鶴見区)を始発にした、終点までわずか15分という鶴見線は、ロケ場所としてしばしば使われる国道駅や、ホームの真下まで波が打ち寄せる海芝浦駅などでご存知の方も多いと思います。

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 しかし、この路線が、ニッポンを創った男たちの夢と野望を乗せて走った電車だったことを知る人は少ないのではないでしょうか。今回は、そんな鶴見線のお話です。

 現在、JR東日本が運行する鶴見線は、もともと私鉄としてスタートした路線でした。浅野総一郎をはじめ、近代の日本を創り上げた錚々(そうそう)たる財閥軍団によって、1926(大正15)年に開通した貨物線「鶴見臨港鉄道」がその前身。加えて、鉄道の走る埋立地も、この財閥軍団で造ってしまったというから驚きです。

 鶴見駅と扇町駅(川崎市川崎区)を結ぶ本線、それに海芝浦線、石油線(廃線)、大川線の3つの支線は、すべて財閥軍団が造成した埋立地へと通じ、平日の乗降客のほとんどが、埋立地に林立する企業の関係者。

 もちろんそれらの企業の多くは財閥軍団がらみ。京浜コンビナートを縦走する鶴見線は、近代日本を創った男たちの飽くなき野望を乗せて走った電車だったのです。

 貨物線でスタートした鶴見線は、1930(昭和5)年に人員輸送も開始します。その際、従業員の輸送はもとより、一般客の誘致も大々的に行なっていたというからまたビックリ。

 鶴見線が走る埋立地のさらに沖にある扇島は、現在は完全な埋立地ですが、約100年前はまだ砂洲の状態。なんとそこに海水浴場を造り、海水浴前という名の駅(現存せず)から渡船を往復させ、夏場は海水浴客がごった返したといいます。

 海水浴場と工業地帯……文字通り水と油のような取り合わせですが、1935(昭和10)年の『沿線案内』にはこんなことが書かれています。

「淺野翁の独創になる鶴見埋立地は常に工業港の先驅で、(中略)日々の活動の有様は、近代工業のパノラマであり、工場のスカイラインと機械のジャズとは、近代人をもって任ずる人々の見逃してはならなぬ場所であります」

など、この埋立地がいかに最先端かを強調する文句の数々。無機質な工場群を見ながらの海水浴は、プロレタリア的でもありアール・デコ的でもあり……。

 時代の最先端を走った鶴見線と京浜工業地帯は、戦後復興と朝鮮特需でも大いに賑わいますが、やがて公害問題と重厚長大産業の空洞化で徐々に衰退。貨物線は暫時(ざんじ)トラック輸送にとって代わられ、乗降客は年々減少の一途を辿っています。国内初のコンビナートは今、高度経済成長という最も歴史の浅い時代の遺跡になりつつあるのかもしれません。

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最終更新:7/21(日) 18:54
アーバン ライフ メトロ

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