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ラムネ卸で創業、日本の食文化に欠かせない下町企業の「不易流行」

7/21(日) 17:14配信

ニュースイッチ

丸源飲料工業、変わらぬ「食を楽しむ」

 浅草にほど近く、下町情緒あふれた町並みを維持する一方で、東京スカイツリーの開業で都会的側面も併せ持つこととなった東京都墨田区。観光都市として進化を遂げる地域の一角で、1世紀以上にわたり、陰ながら日本の食文化を支えている企業がある。ラムネ卸業者から始まった丸源飲料工業である。

<自ら海外へ行き、新しいモノを見つける>

 デザート用の食材を扱う同社は、ミルクシェイクやフルーツトッピング、チョコレートドリンクベースやフローズンスムージーなど、食文化の流行を海外からいち早く取り入れ、国内の「豊かで楽しい食文化の創造」に貢献してきた。

 創業は1916年。ラムネの卸売からスタートし、その後、自社での製造販売に乗り出すなど国内の清涼飲料業界の黎明期を築いてきた。

 東京大空襲で本社工場があった墨田区は大きな戦禍に見舞われ、社屋は全焼するも終戦2年後の47年には、「少しでも戦争で疲れた人たちの気持ちを和らげることができるように」と、地場のラムネ事業者としてオリジナル製品「トーキョーサイダー」を発売。映画館や遊園地など娯楽施設に販売し、人々の心を癒やしながら、食の楽しさを伝えてきた。

 1960年代にかけ、外資系清涼飲料メーカーがルートセールスを開始したことで地場の飲料メーカーは厳しい局面に立たされた。

 さらにファミリーレストランなどの外資系外食産業も台頭。当時はそれらの店舗で使われる食材もすべて輸入で賄われていたことから、原産国の米国から日本国内で生産する拠点を求められ、同社は74年に日本フードプロデューサーズ(現丸源エフピージェー)を設立。同社を通して海外から直接食材を輸入し、日本で食材の加工、製造販売まで担う経営体制を構築した。

 丸源飲料工業の冷凍フルーツやシロップ、果汁飲料などの独自製品ブランド「ハーダース」を中心に、ほとんどの外食チェーン店の1号店に参入。今では外食・食品産業になくてはならない企業となっている裏には、こうした歴史的な経緯がある。

 阿部貴明社長は他社との差別化の一つに「自ら海外へ行き、新しいモノを見つけ、日本へ取り入れる姿勢」をあげる。丸源エフピージェーを通して世界中の展示会やサプライヤーのネットワークを通して、国内の最先端の食文化を普及させる。

 例えばマンゴーは今でこそフルーツの一種として受け入れられているが、90年代半ばの業界には「魚臭い」と到底受け入れられるものではなかった。

 そんな中でも同社は自社の感性を信じ、レストランチェーンなどに提案を続けた先進的な経営姿勢を貫いた。これがマンゴーが国内へ普及するきっかけのひとつともなっている。

 市場に参入する際に心がけるのは、市場が会社の規模に適度なサイズであること。思わぬヒット商品を生み出すこともあるが、市場が広がり大手が参入すれば、収益悪化のリスクもつきまとう。それだけに同社は、市場が飽和する前に撤退し、常に新しいものを開拓する。こうした堅実な経営姿勢と挑戦意欲の双方が、100年以上にわたる企業存続の根底にある。

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最終更新:7/21(日) 17:14
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