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「たった一つのことだけするから誰にも負けない」――16歳で起業家になったエンジニアが大切にする体験とは

7/22(月) 7:00配信

@IT

 世界で活躍するエンジニアの先輩たちにお話を伺う「GoGlobal!」シリーズ。今回はクラウド型映像監視システムを提供する「Eagle Eye Network」の社長兼CEO(最高経営責任者)であるDean Drako(ディーン・ドレイコ)氏にご登場いただく。

「アイティメディアさんの広告枠も200ドルくらいだとうれしいんですが」と笑うドレイコ氏

最初に作ったのはロボット掃除機の先駆け?

阿部川“Go”久広(以降、阿部川) ドレイコさんのご出身はどちらですか?

ドレイコ氏 米ミシガン州デトロイトです。自動車業界が街をけん引している「自動車の街」です。

阿部川 幼いころは、どんなお子さんでしたか?

ドレイコ氏 どちらかというと典型的なおとなしい子どもだったと思います。うまくはなかったけれど、野球やサッカーが好きでした。算数も好きで、特にエンジニアリングなど「何かモノを作ること」に興味がありました。



阿部川 そのころからエンジニア気質だったといえるかもしれませんね。最初に触れたコンピュータは何でしたか?

ドレイコ氏 MOS Technologyの「KIM-1」ですね。むき出しの緑のPCボードで、コンピュータというより、単なるCPUともいえます。というかそれ以外はディスプレイも何もなくてキーパッドをつなげてプログラミングするんです。その後は「Apple II」を使っていました。

阿部川 当時、何を作っていたか覚えていますか?

ドレイコ氏 はい。KIM-1で床を走るロボットを作りました。何かにぶつかるとそれを学んで、そこを避けて通るようになります。今普及しつつある自走型の掃除機の走りです。もっとも、私の「作品」はずっと大きかったのですが。

起業家スタートは16歳

ドレイコ氏 Apple IIでは2つの作品を作ったのを覚えています。1つはビデオゲーム、もう1つは、今でいう掲示板のようなものでした。BBSがインターネットに登場する前です。私はそれを売って、最初の会社を作り、その売り上げで高校の授業料を払いました。私は15歳か16歳でした。1つ売るたびに99ドル売り上げました。

阿部川 それはすごい。しかし、どうやって顧客を見つけ出したのですか。

ドレイコ氏 むしろ「顧客が私を見つけ出してくれた」といっていいでしょう。私がやったことは、初歩的なマーケティングです。コンピュータ雑誌の半ページ分の広告スペースを買って、自分でデザインした広告を掲載してもらったのです。16歳でした。今ならもうすこし多くのスペースを買えるでしょうね(笑)。

阿部川 16歳で起業家としてのキャリアをスタートさせたのですね。ビジネスを始めるに当たってどんなことを学習したのでしょうか。

ドレイコ氏 まずは雑誌の広告ビジネスを学びました。広告スペースを買うとか実際にデザインするとか。金額はたかだか200ドルくらいだったと思います。アイティメディアさんの広告枠もこれぐらいの値段だとうれしいのですが(笑)。



阿部川 その件は後でゆっくり営業担当者とご相談ください(笑)。ともあれ、広告を出してそれを顧客が買ってくれました。パッケージング作業などはどうしたのでしょうか? 1人でやったのでしょうか?

ドレイコ氏 はい。製品マニュアルも作り、フロッピーディスクに製品をコピーし、パッケージに入れて、送り出しました。今のように「電子的にソフトウェアを配送する」といったことはできませんでしたから、毎日製品をコピーして、パッケージして、送り出す……ということを繰り返していました。

阿部川 その売り上げで大学の授業料も、自身でお支払いになったんですよね。最初からこうするとお考えでしたか。つまり「ソフトウェアを作って、それを売って、そのお金で授業料を払おう」といったようなことを最初から考えていましたか。

ドレイコ氏 昔のことですから明確には覚えていませんが、確固としたプランはなかったと思います。ただ、とにかく大学に行って勉強したいとは強く思っていました。

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最終更新:7/22(月) 7:00
@IT

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