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変革の川崎ブレイブサンダース、佐藤賢次(前編)「それをやるのは僕しかいない」

7/23(火) 20:55配信

バスケット・カウント

「とにかく毎日ずっと川崎のために一生懸命やってきた」

文・写真=鈴木栄一

Bリーグ開幕から3年続けてタイトルを逃した川崎ブレイブサンダースが、常勝軍団の復権を目指してチーム刷新に乗り出した。その第一歩として新たな指揮官に任命されたのが佐藤賢次だ。現役時代から川崎一筋、北卓也ヘッドコーチの下で8年間に渡りアシスタントを務めていた佐藤は緻密な分析力に定評があり、満を持してのヘッドコーチ昇格となる。伝統と変革を担う若き指揮官の意気込みを紹介する。



──ヘッドコーチとしての抱負を聞く前に、まずはこれまでのキャリアを教えてください。

バスケットボールを始めたのは小学校1年生でした。ミニバスをやっていた兄と姉についていくうちに入部して、最初は練習がキツくてつまらなかったのですが、試合だと楽しかったんです。上手くなるにつれてどんどん楽しくなり、あれよあれよと夢中になっていった感じですね。中学2年のジュニアオールスターでは奈良代表として優勝しました。あの時は、点を取るだけでなくボールも運ぶし、パスもさばいて何でもやっていました。中学の時が一番輝いていましたね。ピッカピカでした(笑)。

洛南高校では2年生から試合に出ていました。ただ、田臥(勇太)が能代工で高校9冠を達成した中でのインターハイ2つは僕たちが決勝で敗れたもので、タイトルをアシストしたようなものでしょうか。青山学院では3年生の時にインカレで優勝しました。この時は同学年に佐藤稔浩(元日立サンロッカーズ)がいて、1つ上に青野(文彦)さんや竹田(謙)さんがいたチームで3冠(春のトーナメント、関東大学リーグ、インカレ)を達成しました。

──これだけの実績があれば、大学を卒業して東芝に入るのも早々と決まったのでは? 

そんなことは全然なかったです。下級生の時は試合に出ていませんでした。なにより稔浩がエースとして目立っていたので、トップリーグに関しては「俺はどこにも行けないな」と思って、リクルートスーツを着て就職活動をしました。最後の最後で東芝に声をかけてもらえたんです。

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最終更新:7/23(火) 20:55
バスケット・カウント

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