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『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』偽名と移動にまつわる物語

7/23(火) 7:01配信

CINEMORE

60年代に起きた実際の事件を映画化

 スティーブン・スピルバーグ監督、レオナルド・ディカプリオ主演『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(02)は、1960年代に起こった実際の事件を元にした作品だ。洗練された小切手偽造の技術で「天才詐欺師」と呼ばれた十代の少年、フランク・W・アバグネイル・Jr(レオナルド・ディカプリオ)が主人公となる。映画は、16歳の彼が小切手偽造を始め、やがて逮捕されるまでの数年間を描く。むろん映画用に脚色されてはいるが、このような人物が現実にいたのかと不思議な気持ちにさせられるストーリーである。

 主人公は単に小切手偽造の技術に長けていただけではなく、さまざまな職業へのなりすましを楽しんでいた。航空パイロット、小児科医、あるいは弁護士。あたかもキッザニアで職業を疑似体験する子どもの気軽さで、パイロットや医師になりきる主人公。愛読するコミックの主人公の名前を使ったなりすましは、罪悪感のかけらもない、あっけらかんとした子どもの遊戯として描かれる。

 就職に必要な免許や証書は、たいてい偽造で調達してしまう。そろそろ潮時だとなれば、また別の土地へ移動し、あらたな人格と名前を手に入れて暮らし始める。映画は、主人公を追うFBI捜査官カール・ハンラティ(トム・ハンクス)との鬼ごっこをユーモラスに描いていく。(作品タイトルを日本語に訳せば「鬼さん、こちら」である)

なりすましによって動き出す冒険

 さて、本作を短く要約すれば、「偽名と移動にまつわる物語」と呼べるだろう。偽の名前を騙って別人を演じ、ひとたび危険を察知すれば移動する。『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』はまさに「偽名と移動」の繰りかえしによって成立している。こうした「偽名と移動」は、実はアメリカ文学において幾度も描かれたモチーフである。

 例を挙げれば、マーク・トウェインの小説『ハックリベリー・フィンの冒険』は、まさに「偽名と移動」を描いた小説だと言えるだろう。父親の暴力に耐えかねて家を出たハックリベリー・フィン(以下ハック)は、黒人奴隷ジムと共にミシシッピ川を下る逃亡の旅に出る。物語は、仲間のジムと共に筏で川を下っていくハックの「冒険」を描いていく。

 ハックとジムは、共に命からがらその場を逃げ出すほかない弱い立場であり、道中で出会う人びとに対してことごとく偽名を使う。ジョージ・ジャクソン、ジョージ・ピーターズ、あるいはセイラ・ウィリアムズ(女性の名前すら使う)といったさまざまな偽名を用いて、どうにかみずからの痕跡を消そうとするハック。彼は人と会えば、ほとんど反射的に偽名を口にするほかない。こうしたハックの習性について、翻訳家の柴田元幸はこのように述べている。

 「『ハックルベリー・フィンの冒険』というタイトルは、ある意味で逆説的である。なぜなら、ハックが経験するさまざまな『冒険』において、ハックはほとんどハック以外の他の人物になりすましているからだ。田舎娘、職人の見習い、離散した百姓一家の息子、イギリス人従者……等々さまざまな『役割』を演じることがハックの『冒険』を生む。ハックルベリー・フィンの『冒険』とは、ハックがハックでなくなることによって成り立っている」
(柴田元幸『アメリカン・ナルシス メルヴィルからミルハウザーまで』東京大学出版会)

 なりすましによって動き出す冒険。この指摘はまさに、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』論としても成立する。「さまざまな『役割』を演じることがハックの『冒険』を生む。ハックルベリー・フィンの『冒険』とは、ハックがハックでなくなることによって成り立っている」とは言い得て妙だ。

 アバグネイルも同様である。シークレットサービス、バリー・アレン。医師、フランク・コナーズ。彼が騙った偽名もまた、冒険に不可欠だ。自分が自分でなくなることで成立する冒険の物語。ミシシッピ川をどこまでも移動していく少年ハックは、世界中で偽造小切手を乱発しながら逃走をつづけるアバグネイルにとてもよく似ている。彼らには帰る家がない。

 アバグネイルの家出は、両親が離婚し、弁護士に「父と母、どちらと住むかを選べ」と迫られたことに端を発する。捜査官ハンラティから「電話できる相手がいないんだろう」と図星の指摘をされる場面は、彼が帰るべき場所を失って彷徨うほかない孤独をみごとに描写している。

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最終更新:7/23(火) 7:01
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