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まるでハリネズミ! 発見された旧海軍重巡「摩耶」が主砲を下ろしてまで目指したもの

7/24(水) 6:04配信

乗りものニュース

海底に眠る「摩耶」発見

 アメリカの調査チームがまたやってくれました。

 故ポール・アレン氏が設立した調査チームが2019年4月19日に、フィリピン最西端のパラワン島沖、水深1850mの海底で、日本海軍の重巡洋艦「摩耶」を発見したと、フェイスブックで7月2日に発表しました。雷撃によって浸水沈没したせいか、構造物は往時の面影をよく残しているようです。

【画像】旧日本海軍が考えていた「漸減作戦」のイメージ

「摩耶」は高雄型重巡洋艦の4番艦で、1928(昭和3)年に起工され、1932(昭和7)年6月30日に就役しました。同型艦は「三年式二号20cm連装砲」(実寸は20.3cm)を主砲としますが、これは対艦、対地だけでなく対空射撃にも使える「両用砲」とされます。現代の艦載砲は両用砲が一般的ですが、1920年代後半に計画された高雄型から主砲を対空射撃に使おうということは、つまりこのころから航空機の脅威が高まっていたことを示しています。

 また、旗艦機能を持たせるために、武装配置など艦のレイアウトは工夫され居住性も良好で、艦内設備の使い勝手もよく乗員からは好評な艦でした。大型の艦橋は指揮所、操舵室、測的所、幕僚室などが充分な広さをもって設置されて天守閣にもたとえられ、高雄型の特徴ともなりました。艦橋容積は前級の妙高型の約3倍だったといいます。もっとも運用が始まると、“天守閣”は夜戦でシルエットが目立つ、重心が高くなって復原性が悪い、といった指摘もありました。

「目標、敵戦艦!」の号令は聞かれず…「対空戦闘用意!」

 日本海軍の「太平洋戦争」開戦前における基本方針は、戦艦同士の決戦の前に駆逐艦や巡洋艦で夜戦を仕掛け、アメリカ戦艦戦力を少しでも削ろうという「漸減(ざんげん)作戦」です。重巡洋艦はこの「漸減作戦」に重要な役割を果たす艦とされました。

 しかし、アメリカ戦艦群は日本の空母部隊による「真珠湾攻撃」で壊滅しており、開戦前に期待したような「漸減作戦」を行うチャンスはありません。太平洋の主兵力は航空機になっていたのです。そして各艦の対空火力強化が急務になりました。

「摩耶」も1943(昭和18)年11月5日の「ラバウル空襲」で大きく損傷したため、横須賀に戻って本格修理されますが、その機会に対空火力を強化した、いわゆる「防空巡洋艦」に改修されることになります。

 主砲の「三年式二号20cm連装砲」は、高角砲としても使える両用砲のはずでしたが、楊弾機の能力限界もあり発射速度は毎分3発程度でしかなく、対空火器として充分な性能とは言えませんでした。そこで第3砲塔は撤去して「八九式12.7cm連装高角砲」2基を増設し、元々搭載していたものとあわせ合計6基とします。この高角砲は高速で移動する航空機を狙うために、目標との距離を測る測距機と機械式計算機からなる高射装置とが連動して照準を助け、装填直前に自動的に砲弾炸裂のタイミングを設定できるなど高度な機能を持っていました。ほかに「25mm3連装機銃」13基39挺、「25mm単装機銃」9挺、「13mm単装機銃」36挺と、ハリネズミのように対空火器を装備します。

 電探(レーダー)も対空用の「二式二号電波探信儀一型(21号)」1基、「三式一号電波探信儀三型(13号)」1基、水上監視用の「仮称二号電波探信儀二型(22号)」2基が装備されました。

 これだけの対空火器は戦艦、正規空母並みであり、現代のイージス艦のように「艦隊防空の要」となることが期待されました。

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最終更新:7/25(木) 15:09
乗りものニュース

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