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被爆3世のプライド 広島から愛を吠えるシンガー・佐々木リョウ

8/5(月) 13:40配信

DANRO

その歌が筆者の耳に聴こえてきたとき、心の中を見えないナイフでえぐられたような気持ちがしました。優れた映画やアニメーション、小説などに触れた際によく陥る感覚です。もちろん、音楽だって例外ではありません。(ナカニシキュウ)

【動画】『パーに勝つ』佐々木リョウ

「同じ球体のすこし離れた近所でまた今日も一人死んだ/TVの向こうでパーのレポーターがこう聴いたんだ/『今の気持ちはどう? 家がなくなってこれからどうする?』/『家はなくてもいい、欲しいのは平和』…あの子は言ったんだ/パパとママが燃える瓦礫にそっと愛を注ぐように」(佐々木リョウ『パーに勝つ』より抜粋)

ポップミュージックに求められがちな“耳当たりのいい言葉”が、そこには1文字たりとも存在しませんでした。どこまでも具体的で切迫感のある表現は、まるでボブ・ディランの歌のようにひりひりとした空気感をたたえています。

この歌の主であるシンガーソングライターの佐々木リョウさん(31)が被爆3世、つまり祖父母の代で広島原爆に被爆した人なのだと知ったのは、もう少し後になってからです。原爆被爆者の子孫として、どのような思いを抱えて反戦歌を歌っているのか、ぜひ話を聞いてみたくなりました。取材を申し込んだところ、ちょうど東京でライブ出演の予定があるからと、リョウさんは快諾してくれました。

このとき、彼は新作レコーディングの中休みを利用した全国ツアー中。アコースティックギター1本を抱えて広島から岡山、大阪、名古屋へとひとり車を走らせる演奏旅行のさなかでした。最終目的地である東京・下北沢のライブハウス「CIRCUS」に現れたリョウさんは、ライブ当日にもかかわらず、リハーサルの合間を縫ってハイテンションで取材に応じてくれました。

18歳で上京も夢なかばで帰郷

──活動拠点は基本的にずっと広島なんですよね。

佐々木:そうですね。高校卒業して18歳で1回上京したんだけど、3年ほどで帰って。それからはずっと広島です。

──最初は「東京でひと旗あげよう」みたいな?

佐々木:まさに。高校生の時に「音楽甲子園」っていうコンテストがあったんですけど、そこでグランプリを獲って。そこと僕をつないでくれた人が東京で音楽事務所を立ち上げたんです。一応そこが僕を売り出すみたいな形でインディーズデビューをするんですけど、ちょっとゴタゴタがあって。ちょうどその頃に親父が体調を悪くしてしまったこともあって、広島に帰ることにしたんです。

──とは言え、現在、広島で活動しているのは意義深いことですよね。

佐々木:そうですね。僕、普段から広島弁がキツめなんですけど、上京してた時もそれを抑えるどころか1.5倍ぐらい誇張した広島弁で生活していたくらい、郷土愛が強いんです。

──話を聞いていると、広島へ戻るべくして戻ったというか。神様的な人が「あんたは広島でやりんさい」と言っているかのような。

佐々木:確かに、不思議とそんな感覚はありますね。

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最終更新:8/6(火) 11:03
DANRO

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