2020年東京オリンピックまであと1年となった。男子リレーは2008年北京オリンピックで銀メダル、リオオリンピックでも銀メダルを取り期待が高い種目の一つだ。「東京で金」実現の鍵はどこにあるのだろうか。北京オリンピック銀メダリストの朝原宣治が男子リレーの日本代表の歴史をひも解きながら解説する。
まずは日本の「4×100m」の歴史をひも解いてみよう。戦前の1932年ロサンゼルスオリンピックでは決勝に進出し、5位入賞を果たした。1968年メキシコオリンピック後、しばらくは代表チームの派遣はなかったが、それから20年ぶりとなる1988年ソウルオリンピックでリレー日本代表派遣が復活する。その背景にはスプリント界において、世界との格差の広がりがあり、それを何とか食い止めなければいけないという思いがあった。私にとってリレーの鮮烈な記憶は1992年バルセロナオリンピックの6位入賞だ。それは、戦前のロサンゼルスオリンピックから実に60年ぶりの決勝進出だった。
私が初めて日本代表オリンピックリレーチームとして参加したのは、1996年アトランタオリンピックだ。当時はバルセロナオリンピックでの快挙もあり、スプリンターの強化が積極的に行われ、リレーへの期待も大きくなっていた。私は当時、走幅跳の選手としてドイツに留学していた。一時帰国し、その年のアトランタオリンピック選考会である日本選手権に出場すると100mで当時の日本記録である10.14で優勝しオリンピック代表入りを決めた。その後、初めてリレーチームとして声がかかったが、ドイツを拠点としヨーロッパの試合をこなしながら調整を行っていた私は、なかなか短距離の代表選手合宿に顔を出せないまま本番を迎えてしまった。直前でのバトン受け渡し練習をこなしたものの、ほぼぶっつけ本番で臨んだ形となった。結果は3走の元日本記録保持者でバルセロナオリンピック入賞経験者である井上悟さんと私のバトンパスで痛恨のミスがあり敢え無く予選敗退した。その悔しくも苦い経験が私自身の長いリレー人生の歴史の幕開けだった。
最終更新:3/17(火) 14:21
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