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『表現の不自由展』中止が浮き彫りにしたこと。右派と左派、お互いが潰しあってる?

8/7(水) 12:50配信

ハフポスト日本版

慰安婦像、「街の中での設置」と「美術展」の違いとは?

--慰安婦をイメージした像をめぐっては、サンフランシスコ市が2017年、民間団体が建てた少女像を市の所有にしました。反対した大阪市の吉村洋文市長(当時、現大阪府知事)が姉妹都市の解消を通告しました。街中に像が建てられるのと、今回の展示に違いはありますか。

街の中に設置するのは、自治体として是認していることになり、設置者の主張を認めることにつながります。ただ、今回の「表現の不自由展」は、芸術祭の一環として専門家のキュレーションによって企画されたものであって、行政の判断ではありません。

なので、自治体として賛成したものではないということです。また、街ではなく、展示場の中にあり、行きたくない人は見なくていいわけです。

ただ、アート作品や展示場内の設置であろうと、少女像が世の中のどこかにあること自体が「許せない」という人がたくさんいることが浮き彫りになりました。限られた人が集まっている屋内空間でも『自分たちとは違う意見が表現されていることは許されない』ということなのでしょう。

繰り返しですが、これはリベラル派にも言えることで、自分の目に普段触れない言動であっても、お互いの立場を認め合うことが難しい社会になっています。

ボールは私たちにある

「表現の自由を保障する」という憲法の考えは、基本的には、公権力が表現の自由を不当に規制してはならないということを意味します。つまり、少々過激な表現であっても公権力は規制してはならないのが原則であり、国家ではなく、社会の方でなんとかしろ、という意味でもあるのです。ボールは法律ではなく、市民側にある。

慰安婦をアート作品として設置することは法律で規制されているわけではない。それなのに、ある種尖った表現をすると、社会的な圧力でつぶされてしまう。

しかも今回の展示の継続を望んでいたリベラル派も別の場面で同じようなことをしている可能性がある。議論をするとき、相手を尊重しているのか、完全に潰そうとしていないか。

自分と異なる立場の人が表現の機会が奪われたとき、今回と同じように抗議の声を挙げているのか。そういうところを第一歩として考えないと、お互いがお互いをつぶし合うという状況になってしまうのではないでしょうか。

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最終更新:8/7(水) 12:50
ハフポスト日本版

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