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『表現の不自由展』中止が浮き彫りにしたこと。右派と左派、お互いが潰しあってる?

8/7(水) 12:50配信

ハフポスト日本版

インタビューを終えて

今回の「表現の不自由展」で問題になった少女像。慰安婦をめぐっては、学者や政治家らの間で見解が分かれており、議論をすることが難しい。

ただ、立場は違っても、日本と韓国などの間で長年こじれているこの問題を解決したいという気持ちは同じなはずだ。

だからこそ、私は少女像のようなアート作品や、慰安婦問題を扱って話題となっている映画『主戦場』などの“コンテンツ(創作物)”に期待をしていた。

政治や外交の場で正面衝突をしても、アートや映画などを通してなら自分と異なる意見がスッと入るのではないか。創作物はリアルな世界と少し離れているからこそ、ふとした瞬間に対立する相手との共通点が見つかるのではないか。

いつもの正面衝突の「慰安婦論争」になった

今回の少女像の展示についても、不快感を抱く人がいるのは予想できた。私の周りにも、世界各地でこの像がプロパガンダとして使われることに反対の人もいる。

ただ、過去に少女像が美術館から撤去された経緯を学び、「たとえ不快でも、慰安婦のことを知る機会が奪われてしまう」こと自体は果たして良いのかどうか、そもそも「アートと言えるのか」など、政治的立場を超えて考える場だったはずだ。

だが、強い主張を持った政治家が議論に加わり、作品がネットにアップされ、多くの意見が入り乱れ、SNSに集約されたことで、「慰安婦」そのものを巡る、いつもの正面衝突の議論になってしまった。

そして政治家の言葉が後押しした面があったとはいえ、権力者ではなく市民からの「同調圧力」で表現の自由が奪われてしまった。

すべての議論を一カ所にまとめるSNSの罪

曽我部教授はインタビューで、保守派もリベラル派もそれぞれ「逆の立場で考える」ことの大切さを繰り返し語った。

ただ、今のSNSはつくりが単純すぎるため、「政治の話」をしているのか「アートの話」をしているのか、自分の「思想的立場」を明らかにしているのか、お互いの言葉の文脈が分からずに、相手の立場を想像するどころか、すべての議論が同じテーブルで素早くおこなわれてしまう。

2019年夏の「表現の不自由展」の3日間での中止。「アート」という、リアルな政治の現場から離れて議論する「空間」でさえ失われてしまった。

きちんとした表現の場をもう一度つくれるのか。メディアとして普段の「批判」や「報道」のあり方も含めて、問われているのだと思った。(竹下隆一郎、生田綾)

竹下隆一郎 生田綾

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最終更新:8/7(水) 12:50
ハフポスト日本版

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