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アジア人であることを恥じながら、アメリカで育った私の半生。そこから誇れるようになった理由

8/7(水) 16:43配信

ハフポスト日本版

「娘さんは1年進級を遅らせなければならないかもしれません。知能が遅れているように思います」

私がほかの子供たちのように童謡をうまく歌っていない事を懸念したプレスクールの保育士がこの言葉を口にしたとき、中国人移民の両親は恐怖に息をのんだ。

「幼稚園への進学への許可するには、ご家庭でいろいろと変えていただく必要があります」

その後、私は小学校へ上がり、中国語は二の次にして英語を集中的に学び始めた。ポップスやボーイバンドの歌詞を覚え、MTVやディズニーチャンネルなどの番組表もチェックした。すべては、ただ英語の会話に入るためだけに。しかし時が経つにつれ、自分を隠し、アメリカ化しようとする行動は拡大していった。

移民一世の子供につきまとう特有の地獄がある。私が育ったのはカリフォルニア州シリコンバレーにある小さな郊外の町、サンカルロス。そこは圧倒的に白人が多く、正確には80%近くを占めていた。小学1年生から5年生まで毎日が過密スケジュールで、クラスメートたちと教室で授業を受け、追加でスピーチセラピーのクラスにも出席した。主にthの発音を学ぶためだ。中国語にこの発音はない。

「スではなくth、ゾウではなくthough、ゼンでではなくthen」、まるで人生はこれに掛かっているとでもいうように、毎日これらを何百回も繰り返した。

クラスメートのほとんどは放課後にスポーツやダンスをするというのに、私は家へ帰って母と一緒にすべてを繰り返し、母の知らない単語があれば教えた。話すことへの自信はついていったが、時折クラスメートがふざけて両目の端を指で吊り上げる(アジア人に対しての差別的行為とみられる)のを見るとゾッとし、すべての進歩が潰れたような気持ちになった。

他にも、密かにクラスメートたちの行動を観察した。スラングや笑いのタイミング、友達の作り方...社交的なクラスメートたちの頓着しない魅力に心を奪われていた。一方私自身は、自分の陣地でひっそりと、優しい「壁の花」的な友達と仲良くしていた。

家では、夜に宿題や授業の復習を終えた後、家族でテレビの周りに集まり、たわいのない中国の連続ドラマを見た。それらはどれも目のぱっちりした主人公が、平凡な男性2人との悲痛な愛の三角関係に捕らわれるという筋書きだった。そして私は母の腕のなかで、カルマ、生まれ変わり、目的のある利他的な人生を送ることの重要さなどについての物語を読んでもらいながら眠りに落ちた。

しかし友達が遊びに来るときには、まるでそれが犯罪シーンでもあるかのように、文化を示唆するすべてのものを大忙しで部屋から消し去った。ディズニーのプリンセス人形たちの入った箱を引っ張り出し、トトロやハローキティをクローゼットの奥深くへと隠した。麻雀パイは、怪しまれないモノポリーなどのボードゲームに置き換えた。

このようにして、私はダブルライフのクイーンになった。

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最終更新:8/7(水) 16:43
ハフポスト日本版

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